福島県初の上映会

 八月後半、久しぶりに福島に行った。どこにいっても「分断や対立が悲しい」という声をきく。

 24日はI女性会議・会津若松の主催で『原発の町を追われて』の上映会があり、七十人の方が来てくださった。

河東学園センターにて

河東学園センターにて

 
 会津は福島の中では比較的放射線量が低く、そこで避難生活を送る浪江町や大熊町の人たちの話を伺うこともできた。同じ福島とはいえ、同郷の人と会えた時の喜びはひとしおだという。苦しみ、悔しさ、嬉しさはきっと双葉と一緒だなあと思った。
会津若松市内の仮設住宅には、雪対策のパイプが組まれていた

会津若松市内の仮設住宅には、雪対策のパイプが組まれていた


 福島での上映は、緊張する。
 それでも、上映会の後に何人かの人が声をかけてくれた。
 
 「双葉町は原発でいい思いしてきたじゃないかと思っていたけど、映画の中の『俺たちはずっと前から放射能浴びてきたんだ』という台詞にはっとしたという人。
 「会津は比較的線量が低くて安心だけれど、それでも不安を口にするのは勇気がいる。言わないほうがいいのかなと思うこともあったけど、映画に出てくる人たちをみて勇気づけられた」という人もいた。

 福島県ひとつとってみても、多様な問題がある。それを、福島だけの問題にしないことが、県外に暮らすわたしたちの課題だと思う。001
 

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四度目の夏

 八月七日。大宮図書館(さいたま市)で開催された『原爆と人間展』で、双葉町民・鵜沼友恵さんが埼玉県に避難してからの三年五か月を振り返った。

「埼玉県の皆さんに、まず感謝します」と鵜沼さん。

「埼玉県の皆さんに、まず感謝します」と鵜沼さん。


「双葉町は、実は皆さんと大した違いはないんです」。
 さいたまスーパーアリーナで、段ボールのトレーを持って炊き出しの列にならんだ時の絶望感。「私、何か悪いことしちゃった?」。
 食べきれないほど配られた食料を捨てるわけにもいかず困ったこと。単位が欲しくてボランティアに来ているだけの学生。・・・そんなこと言ったら、きっと叩かれちゃうんだろうなと思ったと鵜沼さん。

 その後旧騎西高校に行き、借り上げ住宅に移りながらも、避難者の自分にできることをやろうと避難所にカフェを作った。それも今は閉鎖となり、避難者の心のケアはますます必要になっていくという。「奥尻、阪神淡路、中越がそうだったように、自殺、アル中、DV、失業者はこれからもっと増えていく」。

 「賠償金もらって、家賃、光熱費はタダでいいね」・・避難先でそんな声も沢山きいた。しかし「これは『原発避難民』の福島に限らない。岩手県も同じ。日本だけでなく、世界中で同じような差別や偏見があることを知った」と語る。

 大宮西高の新聞部も参加。「風評被害で福島の野菜が売れないことについてどう思いますか?」という質問に「風評って何なのか考えてほしい。そもそも40年前、原発があるだけで双葉町産は食べちゃダメだと、福島では言われていたんです」。

「3・11までは、東電・国のやっていることがこんなにも酷いとは思っていなかった。でも今は『おかしい』と言った方がいいと思えるようになった」
「二分する意見はダメだと言われているけれど、対立するのでなく議論しよう」。

 双葉町の自分たちから学んでほしい。これが、鵜沼さんの一番の願いだ。

午前中は16ミリで『はだしのゲン』の上映も。

午前中は16ミリで『はだしのゲン』の上映も。

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双葉と島根をつなぐシンガーソングライター

浜田さんコラム

 先月、松江で上映会をしたとき、松江出身のシンガーソングライター・浜田真理子さんが観に来てくださっていた。
 声をかけられてビックリ。浜田さんが東京新聞に月一で書いている『3・11後を生きる~遠い場所から』という連載コラムを、
私は共感しながら読んでいたからだ。そして彼女は『原発の町を追われて』のことを取り上げ「現実 理解を超えていた」というコラムを書いてくれた。
「松江も原発立地の町です。双葉町と同じように、原発ではたらく人や関連の仕事に従事している人は少なくありません。事故があれば、双葉町の人々が味わった葛藤をきっと同じように抱えてしまうに違いありません」
 「福島」ではなく「双葉町」と書いているのが嬉しい。
 原発立地の町で避難計画が進められている。でも、避難の後にどれだけの困難が待ち受けているか。浜田さんはそれを受けとめてくれていると思った。
 故郷のことを思うアーティスト、浜田さんの想像力に、深く共振している。
 

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避難計画は現実的か

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 原発を抱えた全国の町で、重大事故が起こった場合の避難計画が作られています。
秋にも再稼働の動きがある川内原発では「事故直後、果たして本当に避難できるのか」という不安の声が高まっているようです。(7月8日『東京新聞』)
  先日、島根原発のある松江市を訪ねた時、「放射能がどれくらいの速度で広がるのか」を確かめるために、風船を飛ばしたそうです。わずか2時間半で250キロ離れたところで風船が発見されたとのこと。
 原発の地元に暮らす人たちからのメールを紹介します。

*********************
 
〇二年前まで松江市内の校長先生だったという男性から
 
松江市は街の真ん中に、街を南北に分断する大橋川が流れています。
この川の北側が、原発からの距離が、およそ15kmです。
この範囲内にある学校は、小学校、中学校、高校、特別支援学校すべて、
毎年11月の原子力防災訓練の日、原発で重大な事故が起こったという想定で、
学校毎に防災訓練をします。
訓練といっても、教室を締め切って、数分間、じっとしているだけですが・・・。
高校を卒業して、県外に進学した生徒が、そのことを話題にすると、決まって笑われるそうです。
でも、他に何ができるのでしょうか?
大橋川の北に住む住民が避難するためには、大型バスが2000台必要だそうです。
それが可能かどうか、誰にでも分かることです。
この範囲内の学校は、ヨウ素剤を保管しています。
毎年、入学時に、服用させていいかどうかの意志を、保護者に尋ねます。
副作用があると言われているからです。
2011・3・11以後、
ヨウ素剤とは如何なるものか、一粒なめて見ました。
生徒に飲ませることになるかもしれないものを、校長は試しておくべきと思ったからです。
極めて苦い薬剤でした。
これが、2011年度の、
原発と運命を共同している松江市の学校の実態です。

〇「島根原発三号機の運転をやめさせる訴訟の会」から

今回の松江における本上映会を通して、私が一番に思ったことは「本映画は
一ドキュメンタリー映画ではなく福島第一原発事故により双葉町が採った避
難行動を証明するための非常に重要な記録資料である」ということです。

事故後、今現在も双葉町の避難行動に対する非難の声が多方面より井戸
川前町長に向けられていますが、今後近いうちに被曝による健康被害が明ら
かになり、疫学的調査を進めて行けば多くの被害者が明らかになるのは明白
である。しかし国及び福島県等が現在のような対応であり続ける限りなかなか
進展しない可能性は高い。
被曝による健康被害者が多発し国及び福島県が対応に苦慮する状態になっ
て初めて双葉町のような早期・遠方避難のリスク回避が必要であると認識す
るでしょう。その時初めて「双葉町の避難行動は正しかった」と認めざるを得な
くなる。

双葉町の避難行動が正しく評価されるまでは、本映画の上
映会を継続することが非常に重要である。それは井戸川前町長の思いに対
して答えることではないかと思います。
また、継続することにより多くの被曝された人々の精神的支えとなり、多くの
国民に対しては原発事故が如何に人々に計り知れない多大な影響を与え
ることを認識してもらうために必要であると考えます。

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撮影秘話

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 「被爆者の声をうけつぐ映画祭」(今年で八回目。第一回は『ゴジラ』を上映したそうです)が四日間にわたって、明治大学リバティータワーにて開催された。
 初日の7月3日には『原発の町を追われて』の上映と井戸川克隆前町長との対談があり、100人以上の方々に来ていただくことができた。来場してくださった皆さん。平日だというのに夜遅くまで、ありがとうございました。

 コーディネーターの寺島成宏さんが、前提的に押さえておくべきこととして、チェルノブイリで住民が強制的に避難した区域が福島県のどの範囲にあたるのかをスライドで説明してくださった。町民の健康を第一に考え福島県外に避難所を設けた双葉町だったが、その結果町民が対立し、町長も不信任に追い込まれていく。映画にはそのあたりも出てくるので、井戸川さんにとっても双葉の人たちにとっても、観るのがつらいと思う。

 映画の感想を聞かれた井戸川さんは「福島県内の仮設住宅で私が批難されているシーンいっていってが出てくるが、町民には『不満があったら全部オレに言えヨ』と言ってきた。全部受け止める覚悟だった。町民の分断を防ぎたかったから」と語った。そして「撮影の途中で堀切さんが町民に文句を言って、叩き出されちゃった。実はあの後がもっとすごかったんですよ」と裏話を暴露。
 
 上映後に井戸川さんと一緒に話をするのはこれで四回目だ。毎回必ず「チクリ」と苦言を呈されてしまう。
 「堀切さんは記録に徹して、現実をちゃんと撮るのが仕事だったのに」と。
 でも私はジャーナリストやカメラマンを職業にしているわけではない。
でもその一切の責任を、自分が背負うつもりでいた。

 『続・原発の町を追われて』を観てくださった方はご承知だと思うが、本当に胸が痛くなるシーンがいくつもある。その現場にいた私は、カメラを回すことより大切なことがあるように思えた。
 現実をとことん記録するのがカメラだが、カメラのブレや中断もまた「現実」だ。
 どっちがよかったのか、今も判断できない。

 上映会終了後、何人かの人が声をかけてくれた。若い人が多かった。映像作品を作っているという人もいて、
中には「小川伸介は、三里塚を撮るときに闘争に参加してしまって、肝心なことを撮れなかった監督なんだよ」と言ってくれる人もいた。

 そして映画祭の最終日。『フクシマ2011~被ばくに晒された人々の記録』という作品を観た。
 ここに出てくる南相馬市のお母さんの話が印象的だった。「除染よりも、放射能に色をつけてほしい」。
 どんなにごまかそうとしても、現実をみようとする人はいるのである。

 

 
 
 

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被爆者の声をうけつぐ映画祭2014

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今年で八回目の「被爆者の声をうけつぐ映画祭」。七月三日(木)~六日(日)まで、明治大学リバティタワー(御茶ノ水駅)で開催されます。初日に『原発の町を追われて(正・続)』の上映と、井戸川克隆前双葉町町長の対談があります。
映画祭ホームページhttp://hikakueiga.exblog.jp

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島根原発のおひざもとで②

 福島原発事故以来、全国にある原発立地の地元では「早く再稼働せよ」という声が多いと聞く。それほどに原発はカネと雇用をまき散らし、地元の人を縛り付けてきたのだ。
 福島の人たちが事故以来どんな行く末をたどっているかを知ってほしい。・・・そう願ってきたが、原発が立地する町で『原発の町を追われて』を上映することがようやく叶った。

 全国で唯一、県庁所在地に原発がある島根県松江市。昨年末の島根県出雲市での上映をひきついで、今回は原発を抱えた「その町」での上映だ。福島原発の次(1974年)に、国産原子炉として初めての稼働が始まった。「県名がそのまま原発の名前になったのは『福島』と『島根』だけ」。良くも悪くも、福島からの声を聞きたいという人が多いのは、当然のことだと思えた。

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 6月21日『島根原発三号機~訴訟の会』『松江キネマ倶楽部』の主催で三回上映され、130人もの方々の参加があった。
 一緒に映画を観ながら私は熱いものがこみあげ、いつになく涙があふれた。観ている人たちが、ここに映し出された双葉町の人たちと自分たちを重ね合わせてるのを感じたからだ。

 車椅子の男性が「私の地域は、事故が起こったら岡山に避難することが決まっている。でも私は松江が大好きで、ここを離れたくない」と語った。
「島根県は人口70万人。中国電力が原発なんか作らんでも、電気はたりちょるんよ」。
 かつて祝島を訪ねた時と同じような声が聞こえてくる。

 松江城や夕日の落ちる様が美しい宍道湖。夕方七時には店じまいしてしまうこの町の、どこかほの暗い雰囲気が何ともいえなくよかった。故郷を奪われるというのがどういうことなのか、我が身に置き換えて考える人の多いことを、束の間の滞在の中であっても、肌身をもって感じることができた。第二の福島になってほしくない。
 
 それでもこの町の少なからぬ人は「事故は起こらないだろう」という。それはかつての双葉郡の人たちの姿でもある。 
 事故が起こる前ならいざ知らず、福島は重大事故の被害を被った。悲劇は一度でいい。「私たちの苦しみを二度と経験してほしくない」という双葉町民の思いを、島根の人々に浸透させたい。

 志をもって上映会を準備してくれた人たちと、観に来てくれた130人の人たちから始まっていくんだ。

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松江 毎日新聞

 

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ダイオキシンと放射能

 六月七日。新所沢で上映会がありました。主催は「所沢・教育と福祉を問い直す会」。雨の中50人近い人が参加してくれました。
 所沢市と言えば20年近く前「日本一の産廃銀座」ダイオキシン汚染で有名になったところ。我が家からは荒川を越えてすぐの場所でした。
 それ以前はゴミを燃やすのは当たり前。しかし関東一帯から出たゴミがこの地域に集中し「煙い」「くさい」というだけでなく、子どもたちの健康状態に異変が起きている・・・そういって市民が立ち上がったのです。
 農作物への被害も大きく、自分の畑で採れたお茶から高濃度のダイオキシンが検出されたことを告発した、荻野さんという有機農業家がいました。周囲の農家からは「野菜が売れなくなる」と叩かれ、自分のお茶も売り上げが半減するのですが「危ないものを隠して売るわけにはいかない」と頑張ったのです。
 全国ではじめて「ダイオキシン・ノー」のデモを行い、住民は健康調査や汚染調査、環境ホルモンという当時は聞きなれなかった学習会をつみかさねた、そんな歴史がある所沢市。今回の上映会でも「市民放射能測定所」をボランティアで始めた「とこらぼ」さんが、「一検体500円で測ります」と活動紹介。市民の意識も高く、周囲から「神経質だね」と言われてもめげずに給食の安全性を訴える若いお母さんの参加もありました。
 「『美味しんぼ』への反応が、同じ福島でかくも違うなんてつらい」という意見もありました。
 子どもの健康を案じることが所沢ではふつうにやれたのに、福島ではなぜタブーなのか。「風評被害ではない。実害だ」という言葉は、20年前の所沢でも発せられていたのですが。ダイオキシンと放射能の違いは何なのか。あらためて考えてしまいました。市民放射能測定室「とこらぼ」のみなさんと。 市民放射能測定室「とこらぼ」のみなさんと。
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ニュークリア・ホットシート

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アメリカのメディアで、井戸川前双葉町長と、彼を登場させた映画の制作者である堀切の発言が紹介されました。
http://www.nuclearhotseat.com/1935/

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アメリカ人からみた福島の現実

CIMG3077 ポレポレ東中野でドキュメンタリー映画『A2-B-C』を観た。最高。福島の現実を知るにはこの映画が一番だと思った。

 10年前から映画制作をしているイアン・トーマス・アッシュ監督(日本在住の米国人)は、「こういう映画を撮りたいと思っていたわけではないし、福島に行きたいとも思っていなかった」「ただ福島の母親たちの怒りに心が動いた。母親たちの声だけでいい」と、ナレーションも音楽も一切なしで70分にまとめた。カメラの前で「私はA2(甲状腺にのう胞あり)」と言う女子高生。「ここは放射能があるから近づいちゃダメ」と促す少年たち。子どもたちは現実を見据えていた。

 私は警戒区域の双葉町に三度行ったことがある。いずれも5時間の累積線量が11マイクロシーベルトだった。映画に映し出される福島の小学校は、それより高い数値で登校が再開された。「立ち入り禁止」の表示がある学校に、子どもを通学させていいのかと憤る母親。「無断で撮影するな」という校長に対して、イアン監督のカメラは一瞬ぶれるが「その問題は大きくない。ホットスポットにいる子どもたちの健康問題の方が大きい!」と立ち向かう。

 映画に登場する母親たちは、カメラに向かって懇願しているようにはみえなかった。イアン監督がアメリカ人だからだろうか。福島で暮らしてきた自分自身が責任を負わずしてどうするんだという気迫のようなものを感じた。生き証人になろうとしている。唯一泣きながら語る女性のシーンが印象的だ。「逃げも隠れもせず、怒りましょう」と。「福島からただちに避難すべきだ」というのが安直に思えてしまうほど、覚悟し決意してとどまり続ける人の強さを垣間見た思いだ。

 上映後、松江哲明氏とスカイプをつないでイアン監督が対談。監督は「何かをせずにはいられないと、映画を観て感じてほしい。すべて国が悪いというのは簡単すぎる」。松江氏は「この映画を観に来る人は既にわかっている人たち。本当に観に来なくちゃいけない人は、あえて観に来ないのだろう。この温度差を縮めたい」。この、知りたい人と避ける人との格差を縮めたのが『美味しんぼ』だったのかもしれない。だか らこそあれだけ紛糾したのか。

 イアン監督は言う。映画の中では力強く語っている人たちの中にも、三年経った現在、話すことを怖がっている空気を感じると。同感だ。
怒りや疑問や不安を口にするだけで叩かれてしまうんだから、それに抗うのはとても勇気のいることになるだろう。この不自由さとの闘いは、被写体となる人たちだけでなく撮影者の課題でもあるのだ。
 さらに言うなら撮影者は「被害者をクイモノにしてる」と言われたりもする。私自身、双葉町を撮りながら同じ渦の中にいると思ってきたが、そうはいっても、失ったもの、背負ってしまったものの大きさの違いは歴然としている。それでも「記録しておかねばならない」という思いが一致したときに、両者の共犯関係は成立するのだ。
「風評よりも風化が恐い」と言う福島のひとたちに応えたい。風化させないために、何が出来るか考え行動し続けたい。
 自分の中にある思いと、イアン監督は、あまりにも共通している。・・・と勝手に思って勇気づけられている。

『A2-B-C』公式サイト⇒http://www.a2-b-c.com/

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