私たちはどれだけ知っているだろうか

 

 原発避難者の苦しみとは何か。

 これまで多くの人たちがインタビューに答え、語り部として語り、デモでアピールし、裁判で証言してきた。しかし10年たったのに、なかなか理解されるものではないようだ。避難者だけではない。最悪の事態だけは避けようと、奮闘する原発作業員もいる。それら一切合切を無視して「アンダーコントロールされている」と言い切った首相。そして誘致された東京五輪。<無謀だ>という世論が巻き起こったが、それはコロナによるものであって、原発事故のことは忘れ去られていたように思う。
 
 毎年三月が近づくと、当事者たちの心はざわめく。年が明けると取材や報道が増える。「忘れないでほしい」という気持ちと「そっとしてほしい」という気持ちが錯綜する。・・・しかし五輪を終えた今年、今までとは違う。

 「10年過ぎて、11年目になるわけですが、報道の減少が心なしかこの11年目は顕著だなと思っています。昨年は10年というのもあって、報道が良くも悪くも増えました。ですが、11年となると、この時期からぽつぽつと増えてくる震災関係の報道はほとんどありませんし、原発事故に関しては「もどってこい」という系統のものばかりで、ああ、本当に終わったことになってきているんだなと、ただでさえ3.11が近づいてくる憂鬱なのに、気落ちするばかりです」
 これは20歳の大学生がくれたメールだ。

 人々の意識が風化するのは避けられない。忘却が問題なのではない。毎年三月に向けて、溢れんばかりの報道があったが、避難者・被災者とはどういう人たちなのか。そこにどれだけ迫れただろう。そして、私たちはどう答えることができるだろう。たとえば海外の人に聞かれたら?

 「忘れる」という前に、何を知っているだろう。これまでにさんざん、訴えてきた人がいる。これから声を上げようとする人がいる。この国の中でその存在が消され、なかったことにさせられていくことがないように、私は動き続けよう。

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