郡山市での上映会

『原発の町を追われて・十年』が初めて、福島県で上映された。10月29日、郡山市に在住の黒田節子さんが企画してくれたのだ。

その前日、黒田さん達が仲間たちと続けている、郡山駅前の金曜行動に参加した。首都圏で「原発反対」を叫ぶよりも、福島県でやるのは大変なこと。「通行人からは『まだ言ってんのか』と罵声を浴びせられることもあるよ」と黒田さん。批判も論争を期待していたが、広い広い郡山駅前。マイクでアピールしても、歌を歌っても、足を止める人はほとんどいない。ファンキーな10代の少年たちが遠巻きに見ながら、ちょこっと相手をしてくれたけれど。
モニタリングポストは0.12μ㏜。これが日常にすっかり溶け込んでいるようだった。

郡山駅前で脱原発を訴える

田中信一さんと制作者

翌日、市内にある「ミューカルがくと館」には、25名ほどの人たちが集まってくれた。その中に、双葉町民の鵜沼久江さんと田中信一さんがいた。二人とも映画に登場してくれていて、鵜沼さんとは何度も一緒にトークをしてきたが、田中さんが上映会に来るのは初めてだ。数年前から郡山で暮らしていて「ついに郡山で上映会やることになったよ」と電話したら、「そんなら行くか」と。
田中さんは旧騎西高校に双葉町民1400人が避難した時に出会い、初めて撮影を許してくれた人だ。
双葉町は原発事故後、井戸川克隆町長(当時)の判断で埼玉に役場を移したが、「なぜ福島県外なのか」と反発する町民も少なくなかった。埼玉にとどまる町民も多い中、福島に戻る人もいて、田中さんもその一人だった。
双葉町は二分化され、福島県内と県外の町民が交流することは難しくなった。人は自分のいる場所に順応して生きていくものだから。

鵜沼さんは埼玉県で野菜を作って生計を立てている。その一方で、双葉町での農作物の実証実験に参加するため、福島県に行くことが多い。一歩福島県に入ると、放射能や被ばくのことを話しにくいと言っていた。「埼玉じゃなくて、福島で農業やればいいじゃないか」と言われることも一度や二度ではない。
だから、福島県内でこの映画がどうみられるのか、鵜沼さんは心配だったに違いない。

上映が終わり、車座になった。「福島に残った人も、ご苦労なさいましたよね。それが聞きたくて、今日は郡山に来ました」と鵜沼さん。

田中さんが口火をきる。「郡山に車で10回。家族10人で転々とした。避難先で虐められる話をよく聞くが、それはおかしなことだ。何も悪いことをしたわけじゃなく、好きで逃げてきたのでもない。堂々と生きていけと、子どもや孫に仕向けてきた」。彼の家は福島第一原発から3キロのところにあり、中間貯蔵施設のために解体された。人生のすべてをつぎ込んだ我が家を失った後も、田中さんは腐ることなく、自分の人生を生き抜いている。

鵜沼さんは、双葉町に置いてきた牛たちを、いずれは埼玉に連れてくるつもりだった。その体力を維持するために、がむしゃらに働いたが、地元の人から「双葉町は出ていけ」と言われ続けた。委縮してしまう人も多いが、鵜沼さんの思いは「ふざけんな」だった。「好きで避難してきたわけじゃない」。県内いる人も県外にいる人も、共通の思いなのだ。

二人の話が呼び水になったのか。浪江町の男性が話し始めた。
「放射能の影響はないというけど、浪江町の一本松を、京都の大文字焼に使わなかったんだぞ。福島の電気、誰が使ってんだ。なんで石ぶつけれらなくちゃならないんだ。自分さえ良ければいいっていう連中ばっかりなんだよ。もっと人のこと考えることのできる人間がいてほしいと思うよ。アンマリじゃない?原発事故さえなければ、故郷を捨てて逃げるかって。最終処分もできないような原発やってきたんだ」

そして参加者が次々と思いのたけを語り始めた。溢れ出してくる、という感じだった。ひとりひとりに11年の体験があって、誰かが話せば、自分の思いをシンクロさせることができるのだ。
自民党の議員さんもご自身の体験をまじえ「福島では『触れちゃいけない』と思われていることが多い。でも『こういうことがあったんだ』と言わないと伝わらない」と話してくれた。
もっともっと垣根を超えていきたい。福島でこの映画を上映する機会をつくりたいと、強く思う。

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原発と国葬


 9月27日に、安倍元首相の国葬が行われました。反対の声は日に日に増え、安倍さんを弔うという雰囲気にはなるどころか、国論は二分されました。
 反対を押しつぶして強行するのは、この国ではよくあることです。安倍氏は生前、たくさんの嘘をついてきましたが、その最たるものが「汚染水はコントロールされている」と言って五輪を誘致したことでしょう。
 国葬翌日の28日、レイバーネットТVで「アンダーコントロールと言って消えた人」と題する特集を放送しました。国葬反対デモを呼び掛けたルポライター・鎌田慧さんと、福島県浪江町で「希望の牧場」を営む吉沢正巳さんがゲストです。吉沢さんは『原発の町を追われて・十年』にも登場し、復興五輪なんてやめちまえ!と叫んでいますが、国葬の当日も国会前に駆け付けました。
 国葬と原発は、とても似ていることが、この放送をご覧になるとよくわかります。
https://www.youtube.com/watch?v=OFJ2obTnLd8

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解除になった日

 双葉町が一部避難指示解除になることを、私は7月半ばの新聞記事で知った。2022年8月30日午前零時。解除になる日を、町民の人達はどんな思いで迎えたのだろう。

 今回解除になるのは「特定復興再生拠点区域」といわれる町の中心部で、全面積の1割にあたる。ここには半数以上の人たちが暮らしていた。しかし、帰れるようになったといって手放しで喜ぶ人は少ない。何しろ、人が住まなくなって11年5カ月たっているのだから。双葉駅前はきれいになり、新しい町役場もオープンしている。けれど、すでに家を解体して更地になった場所も多い。崩れたまま残された建物もある。

双葉駅周辺の解除区域。更地になったところが多い

 それでも、歴史的な日になるのは間違いない。8月29日夜、埼玉に避難している双葉町民と3人で、双葉に行った。復興再生拠点区域は、すでに道路も通れるようになっていて、準備宿泊している人もいる。とっくに解除されているようにみえるが、正式に暮らせるようになるのはこれからだ。

「駅前広場で何かやるらしいけど、おそらく報道の人ばっかりだろうね、普通だったら、ゲートを開ける瞬間を撮影するんだろうけど、ゲートなんてとっくにないから。どうするんだろう」・・・そんな話をしながら、高速道路のインターチェンジを降りて、真っ暗な道を走る。ほどなく双葉駅前に着くと、そこは、たくさんのキャンドルに彩られた世界だった。まるで都会のイルミネーションのようだ。

 マスコミが多いのは予想通りだったが、若い人や子どもまで大勢集まっていた。双葉町の人はほとんど見かけない。それでも声をかけてみると、キャンドルプロジェクトのメンバーや、町の観光協会の職員が、双葉町の復興を応援しているのだという。

 その中の一人に声をかけてみた。昨年はじめて双葉町に来たのだという。私が「原発事故の翌年に来た時は、防御服を着て車の中からみるだけしかできなかったんですよ」と話すと驚いていた。「復興への第一歩」というが、解除の条件をみると「空間放射線量20ミリ㏜/年以下」と明記されている。駅前のモニターは0.143μ㏜/hを示すが、それ以外の放射線量はわからない。

キャンドルに書かれたメッセージの中のひとつ

 ステージ上には双葉町の映像が映し出され、双葉町消防団の隊員が、事故前の楽しい思い出話をした。伊澤町長も挨拶。「双葉町はアリーナから騎西高校へと町役場を移し、大変な思いをした。今回解除になり、まだまだ足りないところはたくさんあるが、避難した時の大変さを思えば、何とかなるんじゃないかと思っている。移住者も含め、住んで良かったと思ってもらえるように努力したい」。

挨拶する伊澤史郎双葉町長

 受付を担当していた双葉町の男性は「帰るという選択肢はない。小さな子供が二人いますから。ここは病院も学校もまだないし」という。ステージでトークを盛り上げていた消防団隊員、福田一治さん(51)は「同じ行政区でも、解除になったところとならなかったところがある。一体だれが決めたんだか知らないけどね。消防団で自分たちが守って来た区域なのに」とこぼした。「自分ちは今回は解除されなかった。解除されてたら万々歳だけどね。でもさ、解除されたら戻るかって言ったら、それはできない。家は3・11のままで、・・もうだめだよ」と語ってくれた。故郷に戻るんだと、それだけを口にして亡くなった町民の顔が思い浮かぶ。やっとその日が来たというのに、いったいこれは誰のための、何のための解除なのだろう。

 伊澤町長はこうも話した。「町を存続させるお金があったら、避難生活に回してほしいという声もたくさんあった。それでも町の行政機能を維持しなければ、国からの支援は受けられなくなる」と。しかし、町民の思いはそれとは違うようだ。東京に避難しているHさんは「今回の解除で『あんたたちは避難民じゃない。勝手に避難してるだけでしょ』っていう扱いになるんだ」と言う。放射能の危険から身を守るために、国からの指示が出なくても避難した、いわゆる「自主避難者」と同じになるのだと、Hさんは思っている。

30日午前10時には防災式典が行われた

 夜が明けると、駅前で防災式典が行われた。新たな生活を始める人々の安全を誓って、消防車とパトカーがサイレンを鳴らして出動していった。今回の解除で、準備宿泊を終えた10世帯ほどの住民が町に暮らすことになるという。駅西側に復興住宅が建設されていて、10月には入居がはじまる。原発でトラブルがあった場合はどうするのか、伊澤町長に聞いた。「3・11クラスの地震があっても、再臨界はしないと専門家から聞いている。万が一何かあった場合も、住んでいる人は少ないから、簡単に避難誘導できる」というのが答えだった。

役場新庁舎のとなりに、イオンの移動販売車がやってきて、菓子パンやお弁当を売っていた

 解除にならない「帰還困難区域」も、双葉町にはまだたくさん残っている。埼玉から参加した鵜沼久江さんの集落は、中間貯蔵施設に持っていかれてしまった。鵜沼さんの自宅は、ぎりぎり中間貯蔵施設との境目にある。帰還の目途どころか除染もされていない。それでもいつかは町に戻りたいと思っているが、今回の解除イベントをみてがっかりしたという。「キャンドルはきれいだったけど、国の大臣が挨拶にも来ないなんて。町民の現実をもっとみてほしかった。中間貯蔵施設を受け入れた町の扱いってこんなもんなの? 双葉町民は捨てられたという気持ちになる」(鵜沼さん)

 解除になって嬉しいという声をきくことはなかった。町長が言う「住んでよかった」という町って、いったい何なのだろう。

失われたものも多いが、駅の近くの神社はそのまま。双葉町の書家・渡部翠峰さんによる石垣の筆耕と共に、残り続けてほしい。

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故郷は避難者の語りの中にある

堀川文夫さんと貴子さん

渡辺一枝さんによる「福島の声を聞こう」というイベントは41回目になる。7月2日、堀川文夫さん・貴子さんのお話を聞きに、双葉町の友人3人と一緒に、東京・神楽坂にあるセッションハウスを訪ねた。

福島県浪江町で大地震を体験した堀川さんは「原発が危ない、ここにはもう住めない」と思い、3月11日のうちに避難を開始した。浪江町でこんなに早く避難した人は珍しいという。原発が立地する双葉町とは違うところだ。
犬と猫が暮らせる避難先をインターネットで探した結果、静岡県の富士市に戸建て住宅をみつけた。賠償金などない堀川さんのために、大家さんは生活用品を準備し、無償で一年間貸してくれたという。けれど近所で噂がたち、貴子さんはウツになる。塾の先生として子どもたちの教育に力を注いできた文夫さんも、自分を見失ってしまう。貴子さんは、その頃の記憶がまったくないと言う。

ある日、避難した塾の教え子たちが卒業式をやるというので文夫さんは出かけた。生徒の一人が「避難してからいろんな人と出会えて、悪いことばかりじゃなかった」と言う。その言葉を聞いてハッとする。「引きこもって、何をやってたんだ俺は」。文夫さんはその時のことを想い出しながら泣いた。

「成績なんて二の次だ」。文夫さんは自らの教育信条の種を、富士市でも撒こうとする。一歩一歩人間関係を築き、塾を再開していく。それでも自分らは浪江の人間だ。文夫さんが小学生だった時に両親が建ててくれた我が家。戻れないとわかっていても、浪江にその家があることは心の支えだった。できることなら、朽ち果てるまで、残しておきたい。

浪江町は2020年、町民に家の解体を迫ってきた。期限内なら解体費用は国が出すという。新しい暮らしを始めた堀川さんは、800万円の解体費用を自前で用意することはできず、解体申請を出した。申請したもののやっぱりしのびなくて、「後回しにして欲しい」というと「皆そういうんですよ」と言われたという。

解体するのに800万もかかるのは、この家屋が放射性廃棄物だからだ。家だけでなく、浪江町では五つの伝統ある小中学校が解体された。「ここに来れば浪江町のことを想い出せる」という人は多かったのに、跡形もなくなった。老朽化が理由だと町は説明するが、だったら40年を超えた老朽原発を生かし続ける理由は何なのか。

堀川さんの家は一か月かかって解体された。つらすぎて、一度も現場に立ち会うことはできなかった。写真家の中筋純さんに看取ってもらい、『フィーネ』という映像に遺してもらうことになる。

解体作業の中に、庭木の伐採は含まれていなかった。楓の木が残され、それが守り神のように、遠くに暮らす自分たちをつないでくれた。家がなくなっても庭木があるから、自分はまだ浪江の人間なんだと思えたという。
その楓の木も、ついに伐採された時、「自分の中の浪江の根っこが、引っこ抜かれた気がした」。

悔しさはそれだけではない。3・11後、放射能は静岡県にも届き、大量の放射能がキノコから検出された。それを富士市の人は平気で食べている。巨大地震の震源地にある町なのに「30年も前からそう言われてるけど、来ないよ」と言う。「来た時は来た時だ」と。
「ちょっと待ってよ。だからこうやって話してるんだよ」と堀川さんは力を込める。

「故郷がなくなった」と言うと、東電は「それはダムで沈んだ町の人達のことを言うんだ」と返してきたらしい。寄り添うふりをしてきたが、ここ数年で態度が一変した。帰還政策が進む中、世論も「帰れるんだから帰ればいい」という空気になっている。気持ちが何度もズタズタにされる。そういう思いをしている避難者は、とても多い。

堀川さん夫婦は本当に強い。やさしい笑顔で、時に嗚咽する文夫さんを、貴子さんががっしり支えている。浪江町がどんなに凌辱されても、二人の生き方が引き継がれて行けば、希望につながっていくと思う。

塾の教え子19人が絵を描いた絵本

※堀川さんの家の解体を映像にした『フィーネ2-2-A-219』
https://www.youtube.com/watch?v=-AYfjooxbKw&t=8s

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若者たちを襲う健康被害

4月20日放送のレイバーネットТV ゲストの白石草さん(中央)鈴木邦弘さん(右)と筆者(左)

 4月20日のレイバーネットTVは、「11年目のフクシマ〜若者を襲った健康被害」と題して、福島特集を放送しました。
大量に放出された放射能が、人や動植物にどんな影響を及ぼしたのか。マスコミはこのことについて報じることは、ほとんどありません。
しかし、本当に被害はないのでしょうか。

 2011年3月に、当時の双葉町長・井戸川克隆さんは、放射能の被爆から町民を守ろうと、埼玉県加須市の旧騎西高校に避難所を設けました。私はそのような選択をした双葉町に注目し続けてきました。井戸川さんは「放射能の影響で病気になっても『じゃあ何で逃げなかったの』と言われるだけだ。あとからでは遅い」と話してくださいました。放射能の影響は枝野官房長官が言ったように、直ちに出るものではありません。セシウムの半減期は30年。影響が出る頃には、事故当時の責任者たちはこの世にいないかもしれません。

 事故直後から、福島県内では健康を不安視する声がたくさんありました。放射能は目に見えないので、線量計だけが頼りです。避難指示出されていなくても、春休み中だったので一時的に避難する親子もいました。けれど4月に入ってすぐに、学校が再開されることになり、戻ってくる人たちが増えました。当時福島県内のおよそ半分の学校は、放射線管理区域以上の放射線量があったにもかかわらず。

 不安の中で生活し続けるのは大変なことです。長崎大学の山下俊一氏が「ニコニコ笑っている人に放射能はきません」と講演して回り、安心したというお母さんは多かったようです。一方で「大量の鼻血が出た」という話を取り上げたマンガ『美味しんぼ』がバッシングされ、連載中止になりました。大量の鼻血、若者の突然死、異常出産など、実際に私も話に聞くことはありましたが、「そういうことは言うもんじゃない」「福島に住んでいる人たちのことを考えろ」という空気に覆われていて、健康問題はタブーの話になりました。

 町民を福島県外に避難させたことで、井戸川さんは町長を辞任せざるを得なくなりました。福島は安全・安心だと吹聴する国や県にとって、「目の上のたんこぶ」だったからです。井戸川さんは「もっともっと県民を避難させなければならなかったはずだ」と言います。けれど、いろいろな思いや事情によって、福島から離れられない百数万人の人達がいるのをいいことに、「福島は安心して住める場所」にされてしまったと私は思います。

 福島県では県民健康調査が行われ、18歳未満の子どもを対象に甲状腺がんの検査が二年ごとに行われています。100万人に一人か二人と言われていた小児甲状腺がんが、事故後、数十倍に増えたことを、国は認めながらも「放射能との因果関係は認められない」としています。

 この一月、小児甲状腺がんになったうちの六人が、東京電力に損害賠償を求める裁判を東京地裁に提訴しました。この裁判の意味するものが何なのか、ぜひ知ってほしいと思い、OurPlanet-TV代表の白石草さんをゲストに、番組を企画しました。原告になった患者のひとり、「ゆうたさん」もオンラインで登場しています。
 
 また、自分の足で歩き、福島の「復興」の姿を絵で表現している絵本作家、鈴木邦弘さんの話もあります。放送アーカイブをご覧いただければ嬉しいです。
アーカイブ動画(特集部分)

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双葉駅前からの中継

 島根県に避難している双葉町民、Kさんから手紙が来ました。遠い町から故郷を案じ、同郷の人のことが地元紙に載ると、記事を送ってくれたりします。以下、Kさんの手紙を一部紹介します。
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 「双葉町から埼玉に避難している皆さんはお元気でしょうか。
 震災から11年。メディアなどから現在の双葉町の復興の様子をうかがい知ることができました。着々と復興支援住宅が何棟も建設されていて、駅のそばには役場新庁舎が着工されていました。
 復興することは大変ありがたいのですが、そのことについて今の私の心には、疑問符がつきます。
 昔から双葉町に住み着いている人間は、古びたへなびた、何もない、人通りもない、本当の田舎の双葉町を愛しており、急に鉄筋コンクリートの建物があちこちに出来ても戸惑うばかりで、かえって住みづらくなるだけです。復興住宅より、元居た場所に住居を修理して、近隣の付き合いを今まで通りに、今までの双葉町に住みたいです。
 伊澤町長が頑張っているのがわかるので、尚更自分としては葛藤が大きいです」
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 11年目の3・11報道の中に、復興のあり方を問う番組がありました。ТBS『報道特集』では、ウクライナの現地取材のあと、二年前に新しくなった双葉駅前から中継しました。伊澤史郎町長が、駅の西側に災害復興住宅を造成していること、双葉町以外の人でも住みたくなるような街づくりを目指したいと話した後、日下部キャスターがこう語りました。
「チェルノブイリで大事故が起きたウクライナでは、原発が標的にされています。本当に愚かしいことです。11年前、この地で、核が暴走を始めたとき、私たちは驚くほど無力でした。我々の英知のすべてを集中しても、暴走をコントロールすることはできませんでした。この現実は今もまったく変わっていません」

 双葉町民であろうとなかろうと、誰でも双葉町に住めますよという双葉町の町長。住むよりも前に、やるべきことがあるのではないでしょうか。

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祝島から福島へ

今年も江古田映画祭で上映してもらうことになりました。『原発の町を追われて・十年』と同時に、私が最初に作った作品『神の舞う島』も上映します。
この小さい映画は、上関原発に反対し闘い続けている祝島の人たちを撮ったもの。いわば『原発の町を追われて』につながる前段といえるでしょう。
このとき祝島の人たちが言っていたことが現実のものになるとは、思ってもいませんでした。・・・
上映会は2月27日(日)13時から と 3月1日(火)15時40分からの二回です。西武池袋線「江古田」駅から徒歩7分。武蔵大学の斜め前にあるギャラリー古藤でお待ちしています!

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ちょっと友達を探しに

ロシア・プーチン大統領によるウクライナへの軍事攻撃が始まりました。首都キエフから国境線に避難する人々。「どこに逃げたらよいのか。これからどうなるのかわからない」。こんなことが、また起こってしまったんだ。彼らは日本人の取材者にむけて「私たちはロシアを敵だと思ったことはない。同じ仲間だと思っていた。日本でいえば東京と京都のように」と訴えていました。

ウクライナ北部ではチェルノブイリ原発の職員たちが多数ロシア軍によって拘束されたという情報もあります。廃炉にもなっていない原発を抱えた町が、戦争という人為的な攻撃を受けるということ。少し想像すれば、一番他人事でないのが日本だということに気づくでしょう。

ロシア国内でもウクライナ攻撃をヤメロというデモが巻き起こっているのが救いです。

今年も3月がやってきます。毎年「この時期ぐらいは、ちゃんと福島のこと、原発のことを考えなくちゃいけない」と、様々な場所で上映会を開いてくれる人たちがいます。先日は渋谷で映像女性学の会主催で『原発の町を追われて・十年』の上映会がありました。このグループでの上映は4回目になります。

嬉しかったのは、上映会の後、参加した人が居合わせた人たちと誘い合って、一緒に食事に行き、映画の感想討論をしてくれたということ。コロナが収まらない中で上映会をやってもいいのかどうか、主催者の人たちも悩んだと思いますが、こういう話を聞くと、やってよかったと心から思います。

今年で11回目の「江古田映画祭」をはじめ、3月から4月にかけて自主上映会が続きます。映画だけでなく、写真展示や朗読劇などの企画が予定されているものもあります。避難者もそうでない人も、様々な事情や考え、違う世代の人たちが集い、同じ時間を共有しながら何かを感じ取っていく場にできたら。
ぜひ、訪ねて来てください。

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2月27日(日)&3月1日(火)
【福島を忘れない~江古田映画祭】
〇日時:2月27日(日)13時~と3月1日(火)15時30分~ ※2月27日のみ上映後に制作者と出演者(双葉町民・鵜沼久江さん)のトーク。鵜沼久江さんが避難先(埼玉県加須市)でつくる野菜の販売もあります。
〇会場:ギャラリー古藤(東武池袋線『江古田駅』より徒歩6分 武蔵大学の斜め前)
〇上映作品:『神の舞う島』(20分/2010年制作)『原発の町を追われて・十年』(58分/2021年制作)

※江古田映画祭のチラシはこちら

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3月6日(日)
埼玉にお住いの方、ぜひ!
〇日時:3月6日(日)13時~
〇会場:さいたま市浦和区高砂2-3-10黒沢ビル3F
〇参加費:500円
〇『原発の町を追われて・十年』の上映後、制作者と出演者(鵜沼久江さん)のトークあり
〇主催:「戦争させない!埼玉の会」 連絡先 080-5322-1293(渡辺)

3月13日(日)
【3・11追悼シンポジウム】
〇日時:3月13日(日) 15時30分開場 16時開演
〇会場:代々木LIVE STUDIO LODGE (東京都渋谷区代々木1-30-1 代々木パークビルB1)
〇参加費:ドリンク代600円
〇プログラム:【第一部】『原発の町を追われて・十年』上映
【第二部】制作者(堀切)と出演者(鵜沼久江さん)による対談
〇主催:公益社団法人日本ジャーナリスト協会 電話 03-6427-0515 FAX 03-3461-0660
【日本ジャーナリスト協会の公式ホームぺージはこちら】↓
https://j-aj.jp/topics/event/8808/

3月20日(日)&3月21日(月・祝)
【忘れてないよ ふくしま】
〇日時:3月20日(日)10時~12時 『原発の町を追われて第一部~第三部』(102分)上映と制作者(堀切)のトーク
〇会場:ひの社会教育センター(日野市多摩平3-1-13)JRt中央線「豊田駅」北口から徒歩10分
〇定員:30名
〇参加費:1000円
〇問い合わせ・申し込み:電話042-582-3136(ひの社会教育センター)
〇主催:震災復興チャリティー実行委員会

〇日時:3月21日(月・祝)13時30分~15時30分 『原発の町を追われて・十年』(60分)上映と制作者(堀切)のトーク
〇会場:ひの社会教育センター(日野市多摩平3-1-13)JRt中央線「豊田駅」北口から徒歩10分
〇定員:30名
〇参加費:1000円
〇問い合わせ・申し込み:電話042-582-3136(ひの社会教育センター)
〇主催:震災復興チャリティー実行委員会

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3月27日(日)
〇会場:国立「キノ・キュッヘ」
〇日時:3月27日(日)16時から
〇『原発の町を追われて・十年』上映後、制作者と豪華ゲスト(メディア関係者)の対談あり
〇料金:千円

3月28日(月)
〇会場:草加市立図書館 多目的ホール
〇日時:3月28日(月)13時30分~(13時開場)
『原発の町を追われて・十年』上映後、制作者と出演者(鵜沼久江さん)のトークあり
〇資料代:500円
〇主催:きびわらの会

4月3日(日)
【第38回高島平ドキュメンタリー映画を見る会】
『原発の町を追われて・十年』
〇日時 4月3日(日)15:00
〇場所 高島平地域センター1階会議室(東京都板橋区高島平3-12-28)と英二多選「高島平」駅西口より徒歩5分
〇参加費 無料

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私たちはどれだけ知っているだろうか

 

 原発避難者の苦しみとは何か。

 これまで多くの人たちがインタビューに答え、語り部として語り、デモでアピールし、裁判で証言してきた。しかし10年たったのに、なかなか理解されるものではないようだ。避難者だけではない。最悪の事態だけは避けようと、奮闘する原発作業員もいる。それら一切合切を無視して「アンダーコントロールされている」と言い切った首相。そして誘致された東京五輪。<無謀だ>という世論が巻き起こったが、それはコロナによるものであって、原発事故のことは忘れ去られていたように思う。
 
 毎年三月が近づくと、当事者たちの心はざわめく。年が明けると取材や報道が増える。「忘れないでほしい」という気持ちと「そっとしてほしい」という気持ちが錯綜する。・・・しかし五輪を終えた今年、今までとは違う。

 「10年過ぎて、11年目になるわけですが、報道の減少が心なしかこの11年目は顕著だなと思っています。昨年は10年というのもあって、報道が良くも悪くも増えました。ですが、11年となると、この時期からぽつぽつと増えてくる震災関係の報道はほとんどありませんし、原発事故に関しては「もどってこい」という系統のものばかりで、ああ、本当に終わったことになってきているんだなと、ただでさえ3.11が近づいてくる憂鬱なのに、気落ちするばかりです」
 これは20歳の大学生がくれたメールだ。

 人々の意識が風化するのは避けられない。忘却が問題なのではない。毎年三月に向けて、溢れんばかりの報道があったが、避難者・被災者とはどういう人たちなのか。そこにどれだけ迫れただろう。そして、私たちはどう答えることができるだろう。たとえば海外の人に聞かれたら?

 「忘れる」という前に、何を知っているだろう。これまでにさんざん、訴えてきた人がいる。これから声を上げようとする人がいる。この国の中でその存在が消され、なかったことにさせられていくことがないように、私は動き続けよう。

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「双葉にこだわらなくていい」

 新年になって三週間。双葉町は動き始めています。

 1月8日、9日は、いわき市勿来にある復興公営住宅広場で、双葉町ダルマ市が行われました。二年ぶりの巨大だるま引きや、だるま神輿。福島県内外に避難する双葉町民たちが、懐かしそうに見つめていました。
「双葉町でやれないダルマ市なんて」という人もいますが、違う場所でもいいから伝統行事をつないでいきたいという心意気も伝わってきます。
テントの下には、双葉町長や教育長さんたちもいて、お話を伺いました。「双葉町はこの一年で大きく変わると思う」「”住民が誰一人帰れない町”と言われてきたが、その枕詞がなくなります」とのこと。
 20日には双葉町内での準備宿泊がはじまりました。津波で家が流されてしまった、比較的放射線量の低い中野・中浜地区には、すでにホテルが作られていますが、それ以外で住民が寝泊まりできるのは初めてのことです。
 さらに、10月にはJR双葉駅の西側に復興住宅が完成する予定です。双葉町民でなくても、住みたいという人なら誰でもオーケーだと、伊沢史郎町長は言っています。

 福島県全域から、放射能を帯びた「除染物」を集めた双葉町。誰かが犠牲にならねばと、自分に言い聞かせていた町民もいます。もうこの町で暮らすことはないだろう・・・。
 まだ家が残っているというHさん。前回帰った時は「いつかまた住めるように」と奇麗に拭き掃除までしてきたけれど、今回帰ったら動物のフンがあったり、物が倒れていたり、娘の部屋も荒らされていて。絶望的だったと私に話してくれました。片時も忘れたことのない我が家だったけれど、もう双葉にこだわらなくてもいいんじゃないか。
 電話口でHさんの話を聞きながら、大切なものを奪われた人の強さを、垣間見た思いがしました。

 動物のフンを片付けて、除染して、リフォームでもして、我が家に住めばいいじゃないかと言う人もいるでしょう。会社が誘致され、大震災と原発事故の資料館が出来、駅がリニューアルしている町なのですから。「復興」に向けた準備は着々と進んでいるようで、町長は「どんどん居住者を増やせると確信している」と言いますが、私は、町民の気持ちから乖離していると思います。

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