10年にわたる井戸川裁判が7月30日、判決を迎えた。原発立地の首長が、国と東電を相手に損害賠償請求した裁判。多くの人たちに支えられてきたが、この日はマスコミの姿も多く、東京地裁103号法廷には入りきれない人も多くいた。
判決は主文を言い渡すだけで終わることが多い。だからあっという間に閉廷だろうと思っていたが、阿部正彦裁判長は主文のあと、50分に及ぶ長い説明を読み上げた。しかし、聴けば聴くほど、その内容は酷かった。
主文:東京電力は原告に対し、1億17万6987円を支払え。
これを告げられたとき、一瞬パラパラと拍手が起きたが、その金額の内容は、避難に関する精神的慰謝料、不動産を含めた財物償、弁護士費用の一部というものにすぎない。裁判せずとも支払われてきたものだ。「これだけ払ってますよ」と言わんばかりの解決策は、被災者の間に分断を産むばかりだった。
そして井戸川さんが訴えた国、東電の法的責任については、何一つ認められなかった。
特に井戸川さんが主張していたのは、多くの双葉町民が取り残され、大量に被ばくさせられたことへの責任だった。しかし「100ミリシーベルと以下であれば、発がん性の証明にはならない。野菜不足と同じ程度」「原告の健康被害は被ばくとは関係ない」と断言。また、津波対策をしてこなかった東電の責任についても「事前の不備とは認められない」と、いとも簡単に結論づけた。
原子力賠償法3条一項「原子力事業者が、原子炉の運転により原子力損害を与えた場合、その損害を賠償する責任がある。ただし、巨大な天災、動乱による場合はこの限りではない」
たとえ津波対策をとっていたとしても防げなかった事故であり、誰の責任でもない。そして、国策としての原発が事故を起こしても、国が正しく住民を避難させなかった責任は問われない。
そういう判決である。
判決文の最後に、裁判長は「提訴から長期に及んだが、数年は双方の協力により裁判が進行した」と言った。何を思っての言葉だったのか。この二年ほど、井戸川さんは弁護士を立てず、本人訴訟の形をとっていた。それをねぎらったつもりなのだろうか。それにしても、そそくさと法廷を出て行った裁判長に、人間味のかけらも感じることはできなかった。
その背中に「不当判決!」「どっちを向いてるんだ!」と言う声が叩きつけられ、井戸川さんに対して「お疲れさま」の大きな拍手がわいた。
地裁前で井戸川さんはこう挨拶した。
「まことにみっともない判決だ。判決文のほとんどはうそ。原発優先の国策に従っただけで、事実関係が全く語られていない。国民に対する侮辱だ。
国民の生存権、双葉町民の生存権に対して、真っ向から闘いを挑む判決だった。
判決文見て、よかったという双葉町民は一人も居ないはずだ。双葉町はなぜ避難したのか。国と東電の不作為で、原子力行政の欠陥で、私たちは避難させられた。国の責任がないなどと、よく言えたものだ。
この国の将来は危うい。このままでは済まない。燃えました。一段と大きく羽ばたきますよ」
それから衆議院議員第二議員会館に移り、報告会となった。弁護士がいないため、判決内容の詳細についての説明はなかったが、前から準備していたという『日独裁判官物語』を上映した。そこに映し出されるドイツの裁判所は日本とは真逆だった。裁判官は権威主義どころか市民と対等で、バイクに乗って裁判所にやってくる。脱原発のデモに参加する裁判官も大勢いるほどだ。
そもそも日本は裁判官の数が少なすぎる。一人の裁判官が抱える案件は年間400件。この裁判制度が変わらない限り、当事者の証言に向き合うことも、さまざまな案件について勉強することもできないだろう。
井戸川さんはこの10年間、丁寧に準備書面をつくり、裁判官がたとえ原発や被ばくについて門外漢だとしてもわかるように説明を重ねてきた。しかし、全力で闘い抜いたことは間違いないが、それが報われることはなかった。
井戸川さんが背負ってきた双葉町民への、現時点での思いを聞いた。
「自分たちがどのような被害に遭わされたのか、考えてみてほしい。救済されていないのに復興などありえない。ヒロシマナガサキがそうであるように、被ばく者に対する補償をかちとることが必要。何より、子どもや孫を安心できる場所で育ててほしい」
そんなにたやすく勝てるものではないと、井戸川さんはわかっていたのだろう。井戸川さんはますます闘志を燃やしていた。
10年間、本当におつかれさまでした。これからも続く闘いに、伴走したいと思う。