第9回双葉の会、どうぞお越しください

11月15日(土)に今年最後の双葉の会をやります。

今日、とある集会で宣伝のチラシを配っていたら「私、加須市民なんですよ」という男性が声をかけてくれました。いわく「近所に双葉町から来た人が二組いるんだけど、何も話してくれないんだよ」と。

ああ、それはきっと、つらい思いをしたからだろうな。

その男性も、何となく事情はわかっているようでした。

14年経ったから、つらい気持ちは薄らいだわけではありません。PTSDは何年もしてから出てきます。震災と原発事故は過去のことではなく、現在進行形の人たちがいることを、どうぞ知ってください。私も、同じ体験をしていないから、わかっていないことが沢山あります。傷つけてしまっている言動は多々あるのだろう。

それでも、語ってほしい。そのためにこの会を続けています。当事者が語り継ぐのをやめてしまったら、本当になかったことにされてしまう。それがいいことだとは、思えないから。被害者の人生を「脱原発運動」に利用しようというつもりは、サラサラないのです。復興の掛け声に潰されないで、自分の体験を世に放ってほしい。その気持ちがますます強くなるばかりなのです。

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風評加害と言う前に~飯舘村の食べ物について山川記者が報告

東京新聞の山川剛史さん

 9月20日に第八回双葉の会を開催しました。鵜沼久江さんのかねてからの念願が叶って、東京新聞の山川剛史さんをゲストに、福島の食べ物についてお話してもらいました。

 山川さんは福島第一原発原発報道のエキスパート。「14年間取材を続け、どっぷり福島にハマってしまった」といい、飯舘村で耕作放棄地を耕しながら、地元の人たちと放射能測定をしています。飯舘村は全村避難を余儀なくされた村で、今は子どもも含めて住民が戻ってきていますが、食べ物の出荷制限は続いています。自然の恵みを受けて生きる人たちの希望を、原発事故は奪いました。

 山川さんも、キノコや山菜は大好きです。「シドキって、食べたことないでしょ。スーパーでは売ってないけど、飯舘だとタダで手に入る」「コシアブラは山菜の王様です。でも放射能の吸収率も王様級」などと話を始めました。「飯舘村で採取した山菜は、測定機にかけるとすべてセシウムが検出されます。現在の食品基準はセシウム量に換算して1キログラムあたり100ベクレル。その基準をどうみるかも意見が分かれますが、、17000ベクレル以上のものもありました。蕨やゼンマイ、コゴミは高く、フキは比較的低い。土壌が16000ベクレルもある場所で育ったのに、シドキそのものは20ベクレル程度。同じ山菜でも品種によって放射能の移行率が違うこともわかりました」。

 逆に、イノハナというキノコは3万ベクレルの土壌で育ったのに、本体は11万㏃。「これではさすがに食べられない。でも地元の人たちに『食べるな』というのはコクだ」と山川さん。春になると山菜、秋になるとキノコ採り・・・地元の人たちがソワソワし始めるのを知っているからです。それで、放射能が抜ける方法はないかと、いろいろ試してみたそうです。その結果、天ぷらは美味しいけどセシウムはほとんど抜けない。でも、塩漬けにすると9割は抜けることがわかったそうです。ただし、塩漬けにした後、完全に水で流して塩抜きしなければならないため「何の香りもしないのが悲しい」と山川さん。

 参加者の関心は高く、次から次へと質問が続きました。「汚染水海洋放出の後、魚からセシウムは検出されていないのか?」という質問に対しては、年間22万件のデータをもとに「海水魚からはほとんど出ていない。海水には塩が含まれていることが影響しているのと、海は広くて、現段階では比較的トリチウム濃度の低いものを流しているので、まだ影響が出ていないのではないか」ということでした。ただし、淡水魚(湖や沼)からは一万㏃超えの検出結果もあったそうです。コメについては、町内に出荷されたコメはすべて検出されなかったとのこと。山川さん自身、20キロのコメを燃やして灰にして凝縮したものを測ったりするそうです。

 村民が地元のマツタケを食べた後、ホールボディカウンターで自分の身体を検査したら、セシウムはピークに。でも1か月後には体内から抜けていたということも報告されました。ただ、将来における影響はどうなのか?染色体を傷つけていないのか?などの質問も相次ぎました。そんな中、山川さんは「わからないものはわからない」と答えていたのが印象的でした。

山川さんがはじめて作ったカボチャ。未検出だということで、食べてみました。ホクホクしていて、とても美味しかったです。

 埼玉のスーパーでも、福島県産の野菜が売られています。ちなみに「宮城県産舞台ファーム」と記載されている野菜は、福島県で作られたもの。作っている土地は福島ですが、会社が宮城なので「宮城産」なのです。野菜たちから「俺は福島で育ったんだ。騙されるなよ。食べるも食べないも、アンタ次第だ」。そんな声が聞こえてくるようでした。

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双葉町前町長・井戸川さんの10年に及ぶ闘い

 10年にわたる井戸川裁判が7月30日、判決を迎えた。原発立地の首長が、国と東電を相手に損害賠償請求した裁判。多くの人たちに支えられてきたが、この日はマスコミの姿も多く、東京地裁103号法廷には入りきれない人も多くいた。

 判決は主文を言い渡すだけで終わることが多い。だからあっという間に閉廷だろうと思っていたが、阿部正彦裁判長は主文のあと、50分に及ぶ長い説明を読み上げた。しかし、聴けば聴くほど、その内容は酷かった。

 主文:東京電力は原告に対し、1億17万6987円を支払え。

 これを告げられたとき、一瞬パラパラと拍手が起きたが、その金額の内容は、避難に関する精神的慰謝料、不動産を含めた財物償、弁護士費用の一部というものにすぎない。裁判せずとも支払われてきたものだ。「これだけ払ってますよ」と言わんばかりの解決策は、被災者の間に分断を産むばかりだった。
 そして井戸川さんが訴えた国、東電の法的責任については、何一つ認められなかった。

 特に井戸川さんが主張していたのは、多くの双葉町民が取り残され、大量に被ばくさせられたことへの責任だった。しかし「100ミリシーベルと以下であれば、発がん性の証明にはならない。野菜不足と同じ程度」「原告の健康被害は被ばくとは関係ない」と断言。また、津波対策をしてこなかった東電の責任についても「事前の不備とは認められない」と、いとも簡単に結論づけた。

 原子力賠償法3条一項「原子力事業者が、原子炉の運転により原子力損害を与えた場合、その損害を賠償する責任がある。ただし、巨大な天災、動乱による場合はこの限りではない」
 たとえ津波対策をとっていたとしても防げなかった事故であり、誰の責任でもない。そして、国策としての原発が事故を起こしても、国が正しく住民を避難させなかった責任は問われない。
 そういう判決である。

 判決文の最後に、裁判長は「提訴から長期に及んだが、数年は双方の協力により裁判が進行した」と言った。何を思っての言葉だったのか。この二年ほど、井戸川さんは弁護士を立てず、本人訴訟の形をとっていた。それをねぎらったつもりなのだろうか。それにしても、そそくさと法廷を出て行った裁判長に、人間味のかけらも感じることはできなかった。

 その背中に「不当判決!」「どっちを向いてるんだ!」と言う声が叩きつけられ、井戸川さんに対して「お疲れさま」の大きな拍手がわいた。

 地裁前で井戸川さんはこう挨拶した。
 「まことにみっともない判決だ。判決文のほとんどはうそ。原発優先の国策に従っただけで、事実関係が全く語られていない。国民に対する侮辱だ。
 国民の生存権、双葉町民の生存権に対して、真っ向から闘いを挑む判決だった。
 判決文見て、よかったという双葉町民は一人も居ないはずだ。双葉町はなぜ避難したのか。国と東電の不作為で、原子力行政の欠陥で、私たちは避難させられた。国の責任がないなどと、よく言えたものだ。
 この国の将来は危うい。このままでは済まない。燃えました。一段と大きく羽ばたきますよ」

 それから衆議院議員第二議員会館に移り、報告会となった。弁護士がいないため、判決内容の詳細についての説明はなかったが、前から準備していたという『日独裁判官物語』を上映した。そこに映し出されるドイツの裁判所は日本とは真逆だった。裁判官は権威主義どころか市民と対等で、バイクに乗って裁判所にやってくる。脱原発のデモに参加する裁判官も大勢いるほどだ。
 そもそも日本は裁判官の数が少なすぎる。一人の裁判官が抱える案件は年間400件。この裁判制度が変わらない限り、当事者の証言に向き合うことも、さまざまな案件について勉強することもできないだろう。

 井戸川さんはこの10年間、丁寧に準備書面をつくり、裁判官がたとえ原発や被ばくについて門外漢だとしてもわかるように説明を重ねてきた。しかし、全力で闘い抜いたことは間違いないが、それが報われることはなかった。

 井戸川さんが背負ってきた双葉町民への、現時点での思いを聞いた。
 「自分たちがどのような被害に遭わされたのか、考えてみてほしい。救済されていないのに復興などありえない。ヒロシマナガサキがそうであるように、被ばく者に対する補償をかちとることが必要。何より、子どもや孫を安心できる場所で育ててほしい」

 そんなにたやすく勝てるものではないと、井戸川さんはわかっていたのだろう。井戸川さんはますます闘志を燃やしていた。
 10年間、本当におつかれさまでした。これからも続く闘いに、伴走したいと思う。
 

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5月10日 双葉の会に青木美希さん来る

おまたせしました。今年も双葉の会を開催します。若葉の季節、埼玉県加須市に暮らす双葉町民・鵜沼久江さんのお宅で、山菜料理を味わいながら交流しませんか?

今回は原発問題を追い続けるジャーナリスト、青木美希さんのお話があります。そして、ショート映画は「令和のコメ騒動」。

車などで自力で来られる方も、送迎が必要な方も、ぜひご一報ください。お待ちしています。

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避難者の苦しみと福島の現実

 毎年3・11報道を注目してみていますが、原発事故に関する番組はどんどん少なくなっている気がします。帰れなかった町に人が戻り、復興に向かっている様子はさかんに報道されますが、まだまだ避難を続けなくてはならないという人たちがいることは、どれだけ伝えられているでしょうか。

 3月12日、レイバーネットTVでは福島特集『原発避難者の苦しみとフクシマの現実』を放送しました。区域外避難者の鴨下さん一家と、福島県三春町在住のカメラマン・飛田晋秀さんが出演してくれました。→https://www.youtube.com/live/XtSqIUHrtnU

 3・11が近づくと、精神的に不安定になり病気になったりする人は多いです。鴨下美和さんも、そんな状況を乗り越えて番組に出てくれました。原告団長で夫の祐也さんも、がんを抱える身で、赤裸々に語ってくれました。

 何といっても圧巻だったのは小2で避難した息子の全生(まつき)さん。最初はやさしく迎えてくれた東京の同級生から半月後にいじめを受けるようになったのは「原発避難者に100万円」という報道のせいでした。死ぬことも考えた思春期をくぐりぬけ、大人になった彼は今でも、「この傷は一生消えることはない」と語ります。

 そんな彼を支えたのは、家族の結束力だったと思えてなりません。そして、福島の現実から目を背けないこと。福島県内を線量計で計り写真に収める飛田さんは、高線量の中、防御服を着ることもなく働いている警察や警備員たちを慮っていました。

 「福島を忘れるな」「福島の苦しみを分かち合う」というのは、福島からの電気を使っていたことを詫び、汚染土を分かち合ったり、原発周辺でとれた農産物を食べたりすることではありません。被ばくを少しでも避けるため、愛する我が家やいわきの自然を手放した鴨下さん一家の訴えを聞いてほしい。そして、原発を受け入れるというのは何を背負わされる社会なのか、考えてほしいと思います。

 いつもより少し放送時間は長いですが、ぜひご覧ください。

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