双葉町の15年

 3月11日、旧騎西高校で東日本大震災と原発事故の犠牲者を追悼する式が行われました。双葉町民だけでなく、加須市民、ボランティアに関わった人たちが集まり、双葉町の方角を向いて黙祷しました。

 騎西高校がある埼玉県加須市には、今も127世帯、327名の双葉町民が暮らしています。被災当時の加須市長、そして現在の加須市長も参列し、「最後の一人が双葉町に戻れるまで、変わらぬ支援を続ける」と挨拶しました。

 双葉町民で埼玉自治会長をつとめる吉田俊秀さん。

「15年前のことが昨日のことのように思い出されます。今、心がモヤモヤしているのは、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働のこと。とても心配です。中部電力浜岡原発は地震データを捏造していました。こんな会社に原発を動かす資格はあるのでしょうか。福島原発事故の教訓は生かされておりません。本当に残念です」
「今まで私たちを加須市民と同様に扱っていただき、感謝しています。これからも双葉町民は、その好意に甘えて、皆で力を合わせて生活してまいります」

 前町長の井戸川克隆さん。

「いろんなことがあったが、一番思い出すのはここです。わずかな時間で加須市民の方々に、住める状態にしてもらい、スーパーアリーナから避難した町民全員がお世話になることができました。その有難さ。こんな思いを、よその原発所在の住民は何と考えているのか。避難生活は、そんな甘いものではない。避難計画を作れと言われ、簡単に再稼働に応じているが、本当の苦しみを知らない。避難するとは、片道切符しか持たないまま、故郷から出ざるをえないということだ」

 式典が終わった後も、「希望」のモニュメントの前で立ち話。懐かしい記者との再会もあれば、3・11の時は小学生だったという新聞記者との出会いもあり、15年の歳月を噛みしめた日でもありました。

 

 このたび、旧騎西高校での避難生活を決めた井戸川前町長を軸に、双葉町がたどった15年をまとめた映像をつくりました。1000円でお分けしています。(上映権付)

カテゴリー: 最新のお知らせ | コメントする

原発で追い出して、今度は戦争のために使うんだね

 福島第一原発事故から15年目を控えた3月10日。レイバーネットТVでは双葉町民・鵜沼久江さんと、イノベーションコーストを監視する会の和田央子さんをゲストに放送しました。

 原発から2・5キロの家に暮らし、牛を飼っていた鵜沼さん。埼玉県に避難してから立ち止まるヒマもなく、新しい土地に馴染もうと、がむしゃらに働いてきました。いつも明るく、笑顔が絶えない鵜沼さんですが、それでも故郷双葉に帰りたい、その思いは消えることがありません。

 そんな双葉町も2022年に一部避難指示が解除され、人が暮らせるようになりました。しかし面積にして15%。鵜沼さんの自宅は未だ警戒区域の中にあります。「帰りたいけど帰れないのがみんなの思い。放射能汚染が残っているだけでなく、町の風景がまったく変わってしまった。行くたびに風景が変わっていて、道もわからなくなるほど。いま双葉に戻った人は単身者ばかり。家族で暮らせる環境にはない。あとは何も知らずに移住でくる人たち。でも仕事もインフラもない」。

 風景が変わったのは、双葉町だけではありません。一度は人がいなくなった浜通り一帯が、福島イノベーション・コースト構想によって塗り替えられています。これは福島原発事故の復興に見せかけて、先端技術の研究開発をするためのもの。「廃炉」「ロボット・ドローン」「航空宇宙」「スマート農林水産業」「再生エネルギー」「医療」の六部門において、スタートアップ企業を集め、最大50億円の補助金を出すという国家をあげたプロジェクトです。双葉町に誘致された会社も助成金をもらっていますが、桁が違います。

 これが福島の避難者、被災者のための復興を考えたものではなく、新たな産業のためだということは明らかです。イノベーション・コーストを政府がさかんに宣伝しています。それによると、ここで研究される技術は、例えば廃炉作業や災害対応のロボットや、インフラ点検用のドローンと銘打っていますが、軍事転用できるものだということがわかります。再生エネルギーも原発に頼らないエネルギーとして研究されるのでなく、浮体式洋上風力発電とドローンをセットにして海に配備し、軍事的に挑発していく計画があります。「戦争のため?まさか」と思うかもしれませんが、ぜひ放送をみてください。

 この構想が始まったのは2014年。お手本になったのはアメリカ・ハンフォードです。長崎に落としたプルトニウム爆弾の開発を行い、戦後も核実験のための核兵器を作ってきた町。放射能で汚染され、研究者や労働者が多数被ばくしました。そこから立ち直るために、今度は汚染除去の事業を始め、労働者を呼び集め、一度は5万人まで減少した人口を30万人に増やしたのです。負のイメージを払拭するためには「いかに原爆は正しかったか」という教育が必要で、町の高校の校章はキノコ雲がデザインされています。福島も原発事故をなかったことにし、先端産業のために若者が集まってくる・・・そんな未来を、国は期待しているのです。

 和田央子さんの解説に、スタジオから驚きの声があがりました。一番衝撃を受けたのは、鵜沼さんだったと思います。「原発で追い出されて、今度は戦争に使われるなんて」と絶句。それらが福島の復興の名のもとに行われることを、私たちは知っていかなければ。
 レイバーネットTVをぜひご覧ください。

カテゴリー: 最新のお知らせ | コメントする

15年目、今年もよろしくお願いします

 新しい年は、鳥取・島根の震度5強の地震で始まりました。全国各地、どこにいても地震は免れない。そんな列島に暮らす私たちにとって、第二、第三の原発事故は起こりえないことではありません。

 そして中部電力の基準地震動のデータ改ざん。地震の可能性を過小評価し、いわば捏造したものを原子力規制委に出したことが明らかになったのです。浜岡原発の再稼働を急ぐあまり、「揺れを小さく見せたかった」と。

 東京丸の内にあるアーティゾン美術館で、志賀理江子さんという写真家による展示を観ました。宮城県に移住した彼女は、フロア一杯に波形の壁に写真をはりめぐらし、そこに直筆の文字を書き込みました。撮影は出来ないので、彼女の書いた文章を一部書き写しました。

「魚のように海のことがわかるのです。だから一日たりともこの土地から離れて暮らすことはできません。この空気でなければ私は縮こまってしまう」

「私たちは命がどれだけ危うく、薄い板に立ってること、知ってるからね。漁師って言うのはカンがいい。何が死を誘発するのか、その因果が発動する前に対処しなければ」

「大丈夫です。核の産業は亡びる心配ございません。核と国は強い力でつながっていますから。自動的に雇用は生まれ、権力に温存される。抑圧と犠牲なしでは、そもそも各産業は保持できない。・・・有効に利用すれば、平和に利用すれば、この無限の力を温存できる。大量のごみも出続けますが、それはまた管理すればいい」

 世界一危ないと言われ、3・11後に菅直人首相(当時)が真っ先に停止を命じた中部電力・浜岡原発が。そして、事故を起こした東京電力が原発を再び動かすという、そんな15年目を、私は想像していませんでした。

 嘆きながら、呆れながら、今年も記録していきます。

カテゴリー: 最新のお知らせ | コメントする

第9回双葉の会、どうぞお越しください

11月15日(土)に今年最後の双葉の会をやります。

今日、とある集会で宣伝のチラシを配っていたら「私、加須市民なんですよ」という男性が声をかけてくれました。いわく「近所に双葉町から来た人が二組いるんだけど、何も話してくれないんだよ」と。

ああ、それはきっと、つらい思いをしたからだろうな。

その男性も、何となく事情はわかっているようでした。

14年経ったから、つらい気持ちは薄らいだわけではありません。PTSDは何年もしてから出てきます。震災と原発事故は過去のことではなく、現在進行形の人たちがいることを、どうぞ知ってください。私も、同じ体験をしていないから、わかっていないことが沢山あります。傷つけてしまっている言動は多々あるのだろう。

それでも、語ってほしい。そのためにこの会を続けています。当事者が語り継ぐのをやめてしまったら、本当になかったことにされてしまう。それがいいことだとは、思えないから。被害者の人生を「脱原発運動」に利用しようというつもりは、サラサラないのです。復興の掛け声に潰されないで、自分の体験を世に放ってほしい。その気持ちがますます強くなるばかりなのです。

カテゴリー: 最新のお知らせ | コメントする

風評加害と言う前に~飯舘村の食べ物について山川記者が報告

東京新聞の山川剛史さん

 9月20日に第八回双葉の会を開催しました。鵜沼久江さんのかねてからの念願が叶って、東京新聞の山川剛史さんをゲストに、福島の食べ物についてお話してもらいました。

 山川さんは福島第一原発原発報道のエキスパート。「14年間取材を続け、どっぷり福島にハマってしまった」といい、飯舘村で耕作放棄地を耕しながら、地元の人たちと放射能測定をしています。飯舘村は全村避難を余儀なくされた村で、今は子どもも含めて住民が戻ってきていますが、食べ物の出荷制限は続いています。自然の恵みを受けて生きる人たちの希望を、原発事故は奪いました。

 山川さんも、キノコや山菜は大好きです。「シドキって、食べたことないでしょ。スーパーでは売ってないけど、飯舘だとタダで手に入る」「コシアブラは山菜の王様です。でも放射能の吸収率も王様級」などと話を始めました。「飯舘村で採取した山菜は、測定機にかけるとすべてセシウムが検出されます。現在の食品基準はセシウム量に換算して1キログラムあたり100ベクレル。その基準をどうみるかも意見が分かれますが、、17000ベクレル以上のものもありました。蕨やゼンマイ、コゴミは高く、フキは比較的低い。土壌が16000ベクレルもある場所で育ったのに、シドキそのものは20ベクレル程度。同じ山菜でも品種によって放射能の移行率が違うこともわかりました」。

 逆に、イノハナというキノコは3万ベクレルの土壌で育ったのに、本体は11万㏃。「これではさすがに食べられない。でも地元の人たちに『食べるな』というのはコクだ」と山川さん。春になると山菜、秋になるとキノコ採り・・・地元の人たちがソワソワし始めるのを知っているからです。それで、放射能が抜ける方法はないかと、いろいろ試してみたそうです。その結果、天ぷらは美味しいけどセシウムはほとんど抜けない。でも、塩漬けにすると9割は抜けることがわかったそうです。ただし、塩漬けにした後、完全に水で流して塩抜きしなければならないため「何の香りもしないのが悲しい」と山川さん。

 参加者の関心は高く、次から次へと質問が続きました。「汚染水海洋放出の後、魚からセシウムは検出されていないのか?」という質問に対しては、年間22万件のデータをもとに「海水魚からはほとんど出ていない。海水には塩が含まれていることが影響しているのと、海は広くて、現段階では比較的トリチウム濃度の低いものを流しているので、まだ影響が出ていないのではないか」ということでした。ただし、淡水魚(湖や沼)からは一万㏃超えの検出結果もあったそうです。コメについては、町内に出荷されたコメはすべて検出されなかったとのこと。山川さん自身、20キロのコメを燃やして灰にして凝縮したものを測ったりするそうです。

 村民が地元のマツタケを食べた後、ホールボディカウンターで自分の身体を検査したら、セシウムはピークに。でも1か月後には体内から抜けていたということも報告されました。ただ、将来における影響はどうなのか?染色体を傷つけていないのか?などの質問も相次ぎました。そんな中、山川さんは「わからないものはわからない」と答えていたのが印象的でした。

山川さんがはじめて作ったカボチャ。未検出だということで、食べてみました。ホクホクしていて、とても美味しかったです。

 埼玉のスーパーでも、福島県産の野菜が売られています。ちなみに「宮城県産舞台ファーム」と記載されている野菜は、福島県で作られたもの。作っている土地は福島ですが、会社が宮城なので「宮城産」なのです。野菜たちから「俺は福島で育ったんだ。騙されるなよ。食べるも食べないも、アンタ次第だ」。そんな声が聞こえてくるようでした。

カテゴリー: 最新のお知らせ | コメントする