二つの除幕式

 原発事故による全町避難を余儀なくされてから10年。双葉ではこの三月、二つの除幕式が行われました。
 ひとつめは旧騎西高校(埼玉県)。2011年4月からおよそ三年間、双葉町の人たちの避難所となった場所です。町民を放射能の被爆から遠ざけたいと奔走した井戸川克隆町長(当時)に応えて、埼玉県の許可のもと加須市が全面的に支援し、校舎に畳を運び入れたりして町民を迎えたのです。多い時で1400人。およそ2割にあたる双葉町民が身を寄せました。

モニュメントを制作した加須市・双葉町の彫刻家と書家

友好碑を制作した加須市・双葉町の彫刻家と書家。中央は「希望」を揮毫した渡部翠峰さん

 見知らぬ町での集団生活。受け入れる人も受け入れられる人も、大変だったと思います。それでも「地元の人に助けられた」という人は多く、2013年12月に避難所は閉鎖になるころには「ここが第二の故郷だ」という声を聴くようになりました。帰る場所のないまま、400人近い人が今も加須市で暮らしています。
 2016年11月、加須市と双葉町は友好都市盟約を結び、この春、旧騎西高校の正門に友好の記念碑が建つことに。加須市、双葉町の彫刻家と書家が力を合わせて、このモニュメントを完成させました。

 

「希望」の石碑は双葉町の方角を向いている

関根茂子さん

 3月6日の除幕式には、コロナでなかなか集まることがままならない中、双葉町民、加須市民だけでなく沢山の記者たちも、久しぶりの再会を喜び合いました。加須市の大橋市長の「最後の一人が残るまで、加須市は支援を続けます」というあいさつに「これからも堂々と加須で暮らしていける」という町民もいました。式典が終わった後も、モニュメントの前で写真を撮る人は後を絶たちません。津波で三人の親戚を亡くした双葉町民・関根茂子さんは「毎月11日には雨の日も風の日も、必ずここで黙祷してきた。友好碑が出来て本当に嬉しい。これからはますます希望をもってここに来れます」と語っていました。

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 そしてもう一つは昨年リニューアルした双葉駅。聖火ランナーが走った証として、リレー記念碑の除幕式が行われました。

ランナーのコースとなった双葉駅東側(撮影:見雪恵美)

辞退する人も多い中で行われた 
聖火リレー記念碑の除幕式(撮影:見雪恵美)

 3月25日、福島県jビレッジから始まる聖火リレーが、双葉町にもやってきます。コロナ禍でもあり、どれだけの人が応援に来るだろうか。そもそも本当に開催されるのだろうか。半信半疑で行ってみたところ、集まった多くは報道陣。住民と思しき人に声をかけると「リレー開催地の担当なので視察に来た」とか「実は警備なんです」という返事。撮影するのもメディアが前で、一般の人たちは外側からの応援が要請されました。

 ランナーのスタートを待つ間、ひときわ目立ったのが「希望の牧場」吉沢正巳さんの「カウゴジラ」号でした。「オリンピックなんてできるわけない。やめてしまえ!」悲鳴にも涙声にも聞こえる声が響きます。吉沢さんは、原発事故によって警戒区域から連れ出せなくなった牛たちの殺処分に敢然と抗議し、およそ300頭の牛たちを保護しています。この日もほとんどのリレー会場を回り、地元である浪江町では「汚染水を流されて、請戸の漁師たちは黙ってていいのか」と叫んだそうです。

せんだん太鼓。前列手前が横山久勝さん

 午後2時46分。少しでも双葉らしさを出そうと「せんだん太鼓」が鳴り響く中、第一走者の桜庭梨那さんが駅前からスタート。多くの警備の人に囲まれて、500メートルのコースを、三人のランナーが聖火をつなぎました。せんだん太鼓の代表・横山久勝さんは「双葉町の復興はまだ何も進んでいない。駅が新しくなったって何の影響もないですよ。30年は帰れないと国は言っていた。ただ、自分が愛してやまない双葉の伝統芸能を絶やすことなく受け継いでもらえれば」と語りました。

双葉駅の西側は造成工事が進み、来年春には復興住宅ができる

 加須市と双葉駅に建った二つのモニュメント。どちらの方向をみているのか、その違いは歴然としているように思うのです。

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