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自然の恵みを食べながら~第二回双葉の会を開催
桜はまだ咲かないものの、好天に恵まれた3月30日。加須市の鵜沼さん宅で、第二回「3・11を忘れない双葉の会」を開催しました。初回を上回る人たちが参加して下さり、料理班は嬉しい悲鳴。利根川土手で摘んだ菜の花やゼンマイ、ニンニクの葉などを大鍋で茹で、よもぎ餅と一緒に提供したプレート料理に、皆さん大喜び。自然の恵みを堪能していただけたのではないでしょうか。私もふっと、双葉町の皆さんが「食べ物を買ったことなんてなかった」「山や畑で材料はすべてそろった」と言っていたことを思い出しました。
旧騎西高校での最初の1年を記録した『原発の町を追われて』に続き、ライターの吉田千亜さんが取材した福島イノベーションコーストの報告。これは想像をはるかに超えた、驚くべき内容でした。
双葉町は復興の名のもとに、住民帰還に先駆けて、次々と企業が立ち並んでいます。双葉町長は「来てくれるなら誰でもウェルカム」という姿勢で、誘致する会社はさまざまなのですが、最近ドローンの会社がオープンしました。これには驚いたという町民もいます。
町民の驚きを裏付けるような話が、次々と出てきました。吉田さんによると、復興の名のもとにすすめられている柱は軍需産業。双葉町から浪江、南相馬市に至る浜通りには、ロボットテストフィールドやドローンの開発など、軍事技術開発への研究者が集められていると。故郷から人々を一掃し、戦争のための研究開発地帯にしていく。そこに、夢を抱く若者たちが吸い寄せられていく。
日本全体が「戦争のできる国づくり」へと、大きく舵を切ったということなのではないか。
双葉町の人たちにとって、否、双葉の人でなくても、あまりにも衝撃的な話でした。
そして若い映像作家、小池美稀さんが制作した『福島を聴く見る測る~WILPFの福島レポート2023』。テレビが取り上げることのない、避難指示解除区域の現実に、参加者からは「ぜひ上映会をやって広めたい」という声があがりました。小池さんは大学の卒業制作で、チェルノブイリに行き、そこで福島のことを省みたそうです。
福島の放射線量、被ばくの実態を語ることはタブーとされています。そこに何十万という人が暮らしているのだからと言って。そのことが現実から目を塞がせ、まともな討論が出来ない状態にさせれらてきました。
この日に観た映像を、ぜひ多くの人に知ってほしいと思います。→「福島を聴く、見る、測る -2023-」https://youtu.be/gY-0bwLBzBI?si=RbjVZXQJmb-zYjBMBM
13年たって薄らぐどころではない原発政策の怖さ。それは、原発事故の被害地、原発が立地する町にとどまることではありません。
この国の行く末をあらためて考える一日になりました。
双葉の会、次回は5月18日(土)に開催する予定です。
第2回双葉の会を開催します
加須市で避難生活を続ける鵜沼さんのお宅で、双葉町民を中心にした交流会を開いています。第2回は3月30日(土)。旧騎西高校での双葉町の人たちを記録したドキュメンタリー『原発の町を追われて第一部』も上映します。
復興の裏側~農業再開のカラクリ
双葉町三宮地区に田んぼを持つAさんが言った。この田んぼが畑になる計画があるのだと。
農業法人に土地を貸すことになったので、地主や関係者を集めた説明会に参加したのだが、まったく最悪だったという。
土地の賃料は一反5千円(一年)という安さ。しかも水の使用料4千円は地主負担だそうなので、実質千円にしかならない。
問題はそれだけではない。「放射能が高いかもしれない土地なんて貸したくない。でも、断れば罰金とられるってナ」
なんと、放置料として年間30万円取られるという。抵抗すればさらに裁判費用がかかると。そんなバカな話があるかとAさんは憤る。
そもそも水田だったところが何故畑か。
双葉町の田んぼの水源は大柿ダムだが、ここが放射能で汚染されているのは地元では有名な話だ。大量の水をひかなければならず、双葉町では今のところ、水耕は無理だと考えている。
田んぼより畑の方が水の汚染の影響は少ないかもしれないが、それでも「双葉の野菜など誰も買わないだろう」と土地の所有者たちはいう。もちろん「双葉産」と言って売るわけではないから、消費者にはわからないというのだが。
太陽光パネルの事業も進み、遊ばせておくよりはいいだろうと土地を貸し出す人もいるが、太陽光パネルの寿命は10年。契約書の隅に「後始末は自分で」と小さな字で書いてあるのを見落としてはならないとAさんはいう。
Aさんは腕利きの宮大工だ。自分で建てた双葉の家は、基礎だけ残して津波で流された。その後は仮設住宅の建設や修繕の仕事に駆けまわってきた。数年前に埼玉県に自力で家を建て、双葉町より広い面積の田んぼを耕している。そんな彼が言うのだから、カネが欲しくて不平不満を言っているわけではない。ただ、どうしてこんなふうに次から次へと、被害者を弄ぶようなことが上から決まっていくのか。その悔しさが伝わってくる。
先祖代々の大事な土地が放射能で汚され、故郷を追われた。それ以上の不幸があるだろうか。その被害者たちを「賠償金もらった人たち」という印象操作で黙らせて、あとはやりたい放題だ。
あまりにも杜撰な原発事故の後始末。
うやむやにさせてはならない。
語りつくせぬ思いを語れる場所を~加須市で『双葉の会』が始まる
加須市には双葉郡から避難した人たちが、今も300人ほど暮らしている。住む場所は違えど、ここが第二の故郷だという人もいる。
13年たって、苦しみが減るならいい。でも震災体験、原発事故による心の傷は、時間が経過し世間が忘れたころに、突然表面に現れることがある。
「双葉に帰れるようになったんでしょ」「もう避難者じゃないよね」
よかれと思って言われる言葉だけれど、双葉の人は言葉に窮してしまう。なかなか自分の思いは、届かないものだなと。
原発避難者は、まだまだ語り切れていない。復興は、形にできるような、わかりやすいものではないのに、目に見える建物や人数だけで計られていく。そんなものは復興でも何でもない。
双葉に帰りたくても帰れない、帰らない人たちが集まって、お茶を飲みながらしゃべる場が、コロナで中断されていた。でも、もう限界だ。
何でもいいから双葉訛りでしゃべれる場をつくりたい。
そんな思いで双葉町民、鵜沼久江さんが1月20日、加須市の自宅で『3・11を忘れない 双葉の会』を開催した。
双葉の人が10名ほど、そして支援してきた人、脱原発運動をしている人、福島のことを知らなかったという人。様々な人たちが40名も集まってくれて、双葉町民が朝から台所でこしらえた煮しめやお汁粉を食べながら、一緒に時間をすごした。
はじめてお会いする双葉町民もいた。避難した頃は小学生の息子さんを育てることで精いっぱいで、つながりを持つ余裕などなかった。当時、騎西高校には100名ほどの小中学生がいたが、加須市の学校に通った子どもたちの心中は、推し量ることができないものがあると彼女は話してくれた。
映画『原発の町を追われて 十年』の上映の後、絵本の読み聞かせのコーナーがあったが、これがとてもよかった。
双葉郡を歩いて取材しているイラストレーターの鈴木邦弘さん。『いぬとふるさと』と、これから出版が予定されている『ずっとここにいた』を読んでくれた。人間がいなくなっても双葉町には、ずっと存在し続け、生き続けているものたちがいる。人として生まれた責任というものを、鈴木さんはずっと考え続けている。
この絵本に描かれているのは「復興」の嘘くささを暴き出す双葉町の現実だ。双葉の人がみたらどう思うか心配だったと鈴木さんは言うが、参加した双葉町の女性は涙を浮かべて鈴木さんにこう言った。「私たちの思いを代弁してくれてありがとう」
そしてもう一人、「絵本応援プロジェクト」の山本潤子さん(写真)による読み聞かせがあり、とても感じ入るものがあった。「絵本は歴史書でもある」と山本さん。災害から生まれた絵本というものが沢山あり、そこには事実が描かれている。
3・11の年に作られた『あさになったのでまどをあけますよ』にはじまり、『福島からきた子』『このよでいちばんいちばんはやいのは』などを読んでくれた。
彼女の声はおだやかで優しいけれど芯がある。血管の中に沁みわたっていくようで、読み聞かせとはこういうものなのかと感動した。作者の邪魔をしないよう、想像力を働かせられるよう、感情的にならずに読むことを心掛けているという。日々異なる場所で生きている人たちが、それぞれに考え、直接にではなくても言葉を紡ぎだしていくための手段があることを知った。
双葉町の復興住宅から来てくれた人もいて『2023年の双葉町』の動画を流した。一昨年の10月に避難解除になった双葉町だが、問題は山積みだということも新たにわかった。世間の無関心をいいことに、被害者は置き去りにされている。
復興なんて誰が信じているだろう。双葉を見捨てれば、災害に見舞われたすべての地域が見捨てられる。そのことを忘れてはいけないと思っている。
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※「双葉の会」の「双葉」は、双葉町だけでなく双葉郡の避難者との交流を目指していることと、成長のシンボルであることから命名しました。隔月を目標に、定例化していく予定です。