解除になった日

 双葉町が一部避難指示解除になることを、私は7月半ばの新聞記事で知った。2022年8月30日午前零時。解除になる日を、町民の人達はどんな思いで迎えたのだろう。

 今回解除になるのは「特定復興再生拠点区域」といわれる町の中心部で、全面積の1割にあたる。ここには半数以上の人たちが暮らしていた。しかし、帰れるようになったといって手放しで喜ぶ人は少ない。何しろ、人が住まなくなって11年5カ月たっているのだから。双葉駅前はきれいになり、新しい町役場もオープンしている。けれど、すでに家を解体して更地になった場所も多い。崩れたまま残された建物もある。

双葉駅周辺の解除区域。更地になったところが多い

 それでも、歴史的な日になるのは間違いない。8月29日夜、埼玉に避難している双葉町民と3人で、双葉に行った。復興再生拠点区域は、すでに道路も通れるようになっていて、準備宿泊している人もいる。とっくに解除されているようにみえるが、正式に暮らせるようになるのはこれからだ。

「駅前広場で何かやるらしいけど、おそらく報道の人ばっかりだろうね、普通だったら、ゲートを開ける瞬間を撮影するんだろうけど、ゲートなんてとっくにないから。どうするんだろう」・・・そんな話をしながら、高速道路のインターチェンジを降りて、真っ暗な道を走る。ほどなく双葉駅前に着くと、そこは、たくさんのキャンドルに彩られた世界だった。まるで都会のイルミネーションのようだ。

 マスコミが多いのは予想通りだったが、若い人や子どもまで大勢集まっていた。双葉町の人はほとんど見かけない。それでも声をかけてみると、キャンドルプロジェクトのメンバーや、町の観光協会の職員が、双葉町の復興を応援しているのだという。

 その中の一人に声をかけてみた。昨年はじめて双葉町に来たのだという。私が「原発事故の翌年に来た時は、防御服を着て車の中からみるだけしかできなかったんですよ」と話すと驚いていた。「復興への第一歩」というが、解除の条件をみると「空間放射線量20ミリ㏜/年以下」と明記されている。駅前のモニターは0.143μ㏜/hを示すが、それ以外の放射線量はわからない。

キャンドルに書かれたメッセージの中のひとつ

 ステージ上には双葉町の映像が映し出され、双葉町消防団の隊員が、事故前の楽しい思い出話をした。伊澤町長も挨拶。「双葉町はアリーナから騎西高校へと町役場を移し、大変な思いをした。今回解除になり、まだまだ足りないところはたくさんあるが、避難した時の大変さを思えば、何とかなるんじゃないかと思っている。移住者も含め、住んで良かったと思ってもらえるように努力したい」。

挨拶する伊澤史郎双葉町長

 受付を担当していた双葉町の男性は「帰るという選択肢はない。小さな子供が二人いますから。ここは病院も学校もまだないし」という。ステージでトークを盛り上げていた消防団隊員、福田一治さん(51)は「同じ行政区でも、解除になったところとならなかったところがある。一体だれが決めたんだか知らないけどね。消防団で自分たちが守って来た区域なのに」とこぼした。「自分ちは今回は解除されなかった。解除されてたら万々歳だけどね。でもさ、解除されたら戻るかって言ったら、それはできない。家は3・11のままで、・・もうだめだよ」と語ってくれた。故郷に戻るんだと、それだけを口にして亡くなった町民の顔が思い浮かぶ。やっとその日が来たというのに、いったいこれは誰のための、何のための解除なのだろう。

 伊澤町長はこうも話した。「町を存続させるお金があったら、避難生活に回してほしいという声もたくさんあった。それでも町の行政機能を維持しなければ、国からの支援は受けられなくなる」と。しかし、町民の思いはそれとは違うようだ。東京に避難しているHさんは「今回の解除で『あんたたちは避難民じゃない。勝手に避難してるだけでしょ』っていう扱いになるんだ」と言う。放射能の危険から身を守るために、国からの指示が出なくても避難した、いわゆる「自主避難者」と同じになるのだと、Hさんは思っている。

30日午前10時には防災式典が行われた

 夜が明けると、駅前で防災式典が行われた。新たな生活を始める人々の安全を誓って、消防車とパトカーがサイレンを鳴らして出動していった。今回の解除で、準備宿泊を終えた10世帯ほどの住民が町に暮らすことになるという。駅西側に復興住宅が建設されていて、10月には入居がはじまる。原発でトラブルがあった場合はどうするのか、伊澤町長に聞いた。「3・11クラスの地震があっても、再臨界はしないと専門家から聞いている。万が一何かあった場合も、住んでいる人は少ないから、簡単に避難誘導できる」というのが答えだった。

役場新庁舎のとなりに、イオンの移動販売車がやってきて、菓子パンやお弁当を売っていた

 解除にならない「帰還困難区域」も、双葉町にはまだたくさん残っている。埼玉から参加した鵜沼久江さんの集落は、中間貯蔵施設に持っていかれてしまった。鵜沼さんの自宅は、ぎりぎり中間貯蔵施設との境目にある。帰還の目途どころか除染もされていない。それでもいつかは町に戻りたいと思っているが、今回の解除イベントをみてがっかりしたという。「キャンドルはきれいだったけど、国の大臣が挨拶にも来ないなんて。町民の現実をもっとみてほしかった。中間貯蔵施設を受け入れた町の扱いってこんなもんなの? 双葉町民は捨てられたという気持ちになる」(鵜沼さん)

 解除になって嬉しいという声をきくことはなかった。町長が言う「住んでよかった」という町って、いったい何なのだろう。

失われたものも多いが、駅の近くの神社はそのまま。双葉町の書家・渡部翠峰さんによる石垣の筆耕と共に、残り続けてほしい。

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解除になった日 への4件のフィードバック

  1. 堀川文夫 のコメント:

    避難中の浪江町民です。レベル7のまま、原子炉は11年前と変わらず手つかずの状態で、しかも除染はごく僅かな地域のみ。この状態で避難指示解除とは生命・健康の軽視以外のなにものでもない。
    「信じられない」「有り得ない」とはチェルノブイリ原発事故を経験した人々の驚き。
    復興とは程遠く、大きな力で無理矢理なかったことにされているようで、心がざわつきます。

    • ペコちゃん のコメント:

      堀川様 コメントありがとうございました。「生命・健康の軽視以外のなにものでもない」。本当にそうだと思います。もっとひどいのは、健康やいのちが脅かされている、その不安をいうだけで加害者呼ばわりされることですね。当たり前のことを当たり前に求めることができない。「あなたはどっち派なの?」と顔色を窺わないと話ができない。そんな福島にしてしまったのは何なのか。そう考えると、福島だけの問題ではないと痛切に思います。

  2. ひろ のコメント:

    本当の原発被災地の状況が知りたくても双葉町や大熊町に行きました。
    大野駅前、溝の底を測定すると3マイクロシ-ベルトになり驚きました。
    原発事故の被災者は無視した復興計画には怒りを覚えます。原発を推進する
    する今の政府を変えたいです><

    • ペコちゃん のコメント:

      ひろさん。心強いコメントありがとうございました。福島の現実は、メディアを通しては光の部分だけで、本当のところはなかなか伝わりませんね。被ばくのリスクがはありますが、現場に足を運び、自分の目で見て感じることが一番だと思います。被災者は、本当のことを語るにも勇気が必要です。そのことも汲み取りながら、本質的なものに迫っていきたいですね。

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