いのちについて 小出裕章さんが書いていたこと

レイバーネットТVのスタジオ

 4月12日、レイバーネットTVで元京都大学原子炉実験所の小出裕章さんをお呼びし、「原発回帰ホントにいいの?」という特集を放送した。

 レイバーネットTV放送はこちら

 国が避難指示を出した区域が、12年の間に次々と解除になり、人が戻されている。しかし、放射能は事故前に戻ったわけではない。
 かつて小出さんが、被ばくの対価としての報酬をもらって仕事をした放射線量と同じ基準で、子どもを含む人々が生活させられている。これは棄民政策だと小出さんは語った。
 福島第一原発が今どういう状況なのか、なぜ汚染水を海に流そうとしているのか、そして、事故の責任をとらないどころか人々を欺き、原発政策に大きく舵を切るこの政治下で、自分がどう生きようとしているのか。死生観にまで踏み込んだ話は、すでに講演や著書で小出さんを知っていた私も、強く心を揺さぶられるものだった。放送は大きな反響があり、たくさんの感想が寄せられている。

小出裕章さん

 小出さんは「こうすべきだ」とは言わず「私はこう思う」と言う。人は一人一人生きていて、違った人間たちだ。さまざまな人たちから、よくも悪くも影響を受ける中で、自分の生き方を決め、それに誠実に生きることしかない。限られた短い人生、それで十分なのかもしれない。

 驚いたことに放送終了後、小出さんがスタッフ宛にメールを下さった。そこに「レイバーネットTVでは、原子力や福島事故のことだけでなく、子どものことまで口にしてしまい、余計なことだったと反省しています。でも、生き方そのものについてお受け止めくださったようで、感謝します」という一文と共に、1990年に書いた文章が添付されていた。
 これは小出さんの著書「放射能汚染の現実を超えて」(北斗出版、河出書房新社)におさめられているものだが、ふたたび多くの方々に触れてもらいたいと思い、ご本人の許可を得た上でここに紹介する。

 私はこの文章に、今とても勇気づけられている。

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生命の尊厳と反原発運動

【人類は自ら蒔いた種で、遠からず絶滅する】
 五十億年近いといわれる地球の歴史の中で、人類といえる生物種が発生したのはわずか数百万年前のことである。その人類は自らの生物種が属する類を、「霊長類」と名づけ、そして自らのことを「万物の霊長」と名づけている。しかし、人類の種としての絶滅は、いまやはっきりと目に見えるようになってきた。

 過去二〇〇年ほどの間に科学技術は急激に進展し、浪費も拡大した。その歴史は、人類の種としての生存がそれほど長く続かないことを示している。核戦争、原発事故による放射能汚染、その他の化学物質による汚染、資源やエネルギーの浪費による環境の破壊、それらのいずれもが人類の絶滅をもたらす力を持っている。何が決定的な絶滅の要因になるかは断定できない。しかし、人類の生存可能環境を人類自らが失わせるまでに、どんなに長くとも一〇〇年あるいは千年の単位であることは疑えない。結局、人類の今後の生存期間は、数百万年という過去の生存期間からみれば、いずれにしても誤差の範囲でしかない。

 中世代に地球を征服していたといわれる恐竜は、ある時期に突如として地球から姿を消した。「万物の霊長」たる人類からみれば、巨大であっても、まことに頭の悪い野蛮な動物であったというのが一般の見方であろう。しかし、その恐竜たちは一億年にわたって種を維持していたのである。恐竜の絶滅の原因については現在でもさまざまな議論が続いている。それを、宇宙からの巨大な隕石落下に求める説もあるし、進化の過程で巨大化しすぎ自らの生命体を維持できなくなったためとする説もある。しかし、恐竜からみれば、いずれにしても万やむを得ない過程を経て絶滅にいたったのである。それに比べ、人類の絶滅の決定的な要因は、人類が自ら蒔いた種によるのである。まことに自業自得というべきであるし、人類は恐竜以上に愚かな生物種であったというべきだろう。

【人類が絶滅しても、地球は新たな生命を育くむ】
 現在世界には一万七〇〇〇メガトン、広島の原爆に換算すれば、一四〇万発分の核兵器が存在している。それが一挙に使用されることになれば、ほとんどの人々が即死、あるいは短期日のうちに死亡する。また、かりに直撃を受けず生き残っても、訪れた「核の冬」のもとで、じわじわと生命をむしばまれていく。複雑な遺伝情報をもった人類が、放射能汚染のもとで種として生き延びることも、できそうにない。

 一九七九年に米国のスリーマイル島原子力発電所で大きな事故が起こった。当初、原子力推進派は原子炉の心臓部である炉心は熔けていなかったと主張していた。ところが最近では、炉心の約半分が熔けてしまっていたこと、最後の砦である圧力容器にもひび割れが入っていたことなどが明らかになってきた。その原発の安全担当者は「何が起こっているのか、もしあの時運転員に分かっていたら、彼らはあわてて逃げ出していただろう」と、事故後七年半を経て語っているのである。まことに原子力発電の事故は、人知をこえて展開するのである。しかし、この事故の調査の過程で、一般には知られていない、そして、はるかに重要で驚くべき事実が明らかになった。

 圧力容器の蓋があけられ、水底深く沈んでいる破壊された燃料の取り出し作業が始まった。しかし、作業を始めたとたんに、うごめく物体によって中が見えなくなってしまったのである。そこは、人間であればおそらく一分以内で死んでしまうほど強烈な放射線が飛び交っている場所である。「さながら夏の腐った池のようだった」と作業員が報告したその物体とは、なんと生きものであった。単細胞の微生物から、バクテリア、菌類、そしてワカメのような藻類までが、炉心の中に増殖し繁茂していたのである。それを発見した作業員の驚きと、戦慄は察して余りある。結局、作業を進行させるために、過酸化水素(薬局ではオキシドールとして売っている殺菌剤)を投入して、その生きものは殺される。しかし、一度殺されたはずのその生きものは驚異的な生命力で再三再四復活し、以降何ヵ月にもわたって、作業の妨害を続けるのである。人間からみれば、ぞっとするほどの恐ろしさである。しかし、どんなに強い放射能汚染があっても、新しく生命を育む生きものたちが存在していたのである。生命は、人間の想像をはるかにこえてたくましかった。

 しょせん人類などは宇宙や地球の大きさや広さからすれば、まったくとるに足らないものでしかない。人類がこの地球上から絶滅しても、宇宙の運行はまったく変わらずに続くに違いない。また、人類が自らのものと錯覚してきた地球も、人類がいなくなったところで、何事もなかったかのように、また生命を育むのである。地球上には五〇〇万種とも一千万種ともいわれる生物種がそれぞれの生活を営んできた。人類はこれまでにも、それらのうちの数多くの生物種を絶滅に追い込んできた。そして、自らの絶滅の過程においてもまた、多くの生物種を巻き添えにする。そのことはまことに申し訳ないことだと思う。しかし、人類という生物種がいなくなった地球は、生き残った、あるいは新たに生まれた生きものたちにとって、今日よりももっともっと住みやすいに違いない。

【反原発の根拠】
 すでに四年の歳月を経てしまったソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故以降、世界各国において原子力に反対する運動が高揚した。そして、日本というこの国においても、多くの人たちが、事故の恐怖を理由に立ち上がった。およそすべての運動は、抑えても抑えても内部から沸き上がってくる要求に突き上げられた時に、はじめて力を得るものである。反原発運動の高揚も、そのような力に突き上げられたものであると思う。しかし、運動の展開の中で、私にはどうしても受け入れられない動きもあった。そのもっとも端的なものは、汚染の強いソ連やヨーロッパの食べものを日本国内に入れるなと、行政に規制強化を要請する運動である。

 人類は、他の生きものたちとの比較でいえば高い知能をもった生物としてこの地球上に現れた。その結果、自らを絶滅させるに足る程度には、さまざまな知識や技術を蓄えてきた。しかし、ごく当たり前のこととして、人類にはできないことも無数にある。たとえば、原爆や原子炉によって人類は放射能を生み出すことはできるようになったが、一度生み出してしまった放射能を消すことができない。チェルノブイリの事故で、人類の生活環境にまき散らされた放射能の量は、広島の原爆がまき散らしたそれに比べて、千五百倍にもなるのである。また、人類には時間をもとに戻すこともできない。もし私に時間をもとに戻す力があれば、なんとしても四年だけもとに戻し、チェルノブイリの事故がなかったことにしたい。しかし、できないのである。時間を元に戻せない以上、私たちは汚れた環境の中で汚れた食べものを食べながら生きる以外にすべがない。

 放射能は人間の手でなくすことができない。煮ても、焼いてもなくならない。日本国内に入ることを阻止できたとしても、当然、放射能はなくならない。放射能で汚染した食べものもなくならない。日本と日本人が拒否した食べものは、他のどこかで、他の誰かが食べることになるだけである。どこで、誰で食べることになるのか、想像してみてほしい。私には、それが原子力の恩恵など一切受けず、そして飢えに苦しむ第三世界であり、そこに住む人々であることを疑えない。一方、日本とは、現在三十八基もの原子力発電所を利用し、世界でももっともぜいたくを尽くしている国である。そして、その日本は世界がいっせいに原子力から撤退しようとしている今もなお、先頭になって原子力を推進すると宣言している国なのである。

 現在世界には約五十億の人間が住んでいる。それを四つのグループに分けて考えよう。そのうちのもっともぜいたくなグループは、いわゆる「先進国」と呼ばれる国々である。幸か不幸か日本もその中に入っている。そのグループは世界全体で使うエネルギーの八割を奪い去り、使ってしまう。次のグループはいわゆる「開発途上国」であり、残されたエネルギーのうちの六割(全体のうちでは約十二%)を使う。残されたグループはいわゆる「第三世界」に相当するが、その中でもエネルギーの取りあいがあって、もっとも分け前の少ないグループ、「極貧の第三世界」は全体の二%のエネルギーも使うことができない。彼らの中には飢えが広がり、現在二秒に一人づつ子供たちが餓死しているというのである。日本に住む私たちには自分の子供たちが餓死していくということは、ほとんど想像すらできない。しかし、できるかぎりの想像力を働かせて想像してみてほしい。自分の目の前で、自分の子供たちが「餓死」していく姿を。

 餓死していく子供たちとそれを見つめる以外にない親たちを、私たち日本人は「かわいそう」というべきでない。なぜなら、子供たちを餓死に追い込んでいるのは、不公平をかぎりなく拡大させてきた「先進国」であるのだし、その中で、「豊か」で「平和」な世界を満喫してきた他ならぬ私たち自身なのである。

【生き方の中にこそ生命の尊厳はある】
 人類はいずれ絶滅する。生物として当然のことである。恐れるべきことでもないし、避けられることでもない。それと同じように、一人ひとりの人間も、どんなに死を恐れ、死を回避しようとしても、いずれ死ぬ。一人の人間など、ある時たまたま生を受け、そしてある時たまたま自然の中に戻るだけである。人間の物理的な生命、あるいは生物体としての生命に尊厳があるとは、私は露ほどにも思わない。もし人間の生命に尊厳があるとすれば、生命あるかぎりその一瞬一瞬を、他の生命と向き合って、いかに生きるかという生き方の中に、それはある。

 原子力に反対して活動している人たちの大きな根拠の一つに「いのちが大事」ということがある。しかし、「いのちが大事」ということだけなら、原子力を推進している人たちにしても否定しないだろう。決定的に大切なことは、「自分のいのちが大事」であると思うときには、「他者のいのちも大事」であることを心に刻んでおくことである。自らが蒔いた種で自らが滅びるのであれば、繰り返すことになるが、単に自業自得のことにすぎない。問題は、自らに責任のある毒を、その毒に責任のない人々に押しつけながら自分の生命を守ったとしても、そのような生命は生きるに値するかどうかということである。

 私が原子力に反対しているのは、事故で自分が被害を受けることが恐いからではない。ここで詳しく述べる誌面もないし、その必要もないと思うが、原子力とは徹底的に他者の搾取と抑圧の上になりたつものである。その姿に私は反対しているのである。

 もちろん私も放射能など決して食べたくない。しかし、私たちは自ら選択したか否かにかかわらず、少なくとも現在日本というこの国に住み、原子力の電気をも利用している人間である。現に原子力の恩恵を受けている私たちが、結果としてであれ、汚染だけを第三世界の人々に押しつけることになる選択をすることは、原子力を廃絶する道とは相いれない。今日存在している多様な課題を乗り越えるための唯一の道は、それらの一つひとつと取り組んでいる多様な運動が、根元的な地平で連帯することである。その連帯を可能とする原則だけは、なんとしても守り抜かなければならない。

 ソ連やヨーロッパの汚染食料については、日本国内にどんどん入れるべきである。その上で、いかにすれば自らの責任を少しでもはたし、責任のない人たちに少しでも犠牲をしわ寄せしないですむかを考えること、そして現実の中で一つひとつ選択することこそ、いま私たち日本人に求められている。私は、日本の子供も含め世界中の子供たちに汚染食料を食べさせたくない。しかし、私自身はこの日本という国に生きる大人として、それなりの汚染を受ける責任があると思っている。チェルノブイリ事故後、私は敢えて汚染食料を避けない生活を続けてきた。今後もそのつもりである。そうすることで、現実の汚染が消えるわけではないし、世界の差別全体が解消されるわけでもない。当然、私の苦悩が消えるわけでもない。世界に苦悩があるかぎり、個人の苦悩が消えることなどありえない。世界がかかえる問題に向き合って、いわれない犠牲を他者に押しつけずにすむような社会を作り出すためにこそ、私の生命は使いたい。そして、そのような社会が作り出せたその時に、原子力は必然的に廃絶されるのである。

(一九九〇・二・二十六) 小出 裕章

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