福島第一原発事故で出た放射能を含む汚染土壌を再利用する。その実証実験を計画が浮上している。
昨年末、東京・新宿御苑や埼玉県所沢市がその候補地に挙げられたことがわかった。再利用できる基準は8000㏃/㎏以下。住民が不安に思うのは当然だ。
しかし環境省はきちんとした説明を行うことはなかった。地元の人たちの大半が、テレビや新聞でみて驚いたという。
集中管理しておかなければならない汚染土を、なぜばらまくようなことをするのか。
さっそく住民は立ち上がり、環境省や自治体への申し入れ、住民を集めての学習会が行われた。
新宿御苑は子どもたち、外国人、そして野宿者と多くの人たちの憩いの場所だ。そこにあえて汚染土を持ち込み、花を植えるという。
一月下旬、新宿御苑にやってきた人たちにスタンディングで訴えると、皆驚いていた。
所沢市では保育園の間近が候補地だ。市長はそのことをわかって了解したのか。上から言われたことは決定事項として受け入れることしかできないのか。
問いかける市民を前に、所沢市長は「住民の意向を尊重する」とした上で「福島の人にだけ負担をおしつけるわけにはいかない」と言ったそうだ。
福島の人たちは、汚染土の拡散をどう思っているのか。2月24日、所沢市の公民館で満田夏花さんの学習会が開催された。そこに集まった100名の住民を前に、鵜沼久江さんが訴えた。鵜沼さんは原発の間近で暮らし、中間貯蔵施設に土地の一部を提供した双葉町民だ。
「環境省は『地権者の意見は聞きましたよ』といいますが、何を言っても聞いてくれたことはありません。中間貯蔵施設のために土地を提供した人は皆、同じ意見だと思います。地元のお前たちが責任をとれといわれ、原発の近くに土地があるから、核のゴミはここで引き受けるしかないと覚悟したんです。それなのに、これからあちこちに持って行って実証試験。とんでもないことです。国は勝手すぎますよ。地権者の意見を聞くでもなく勝手に決めて、汚染土を置かれたらもう帰れないと覚悟して、私たちは(中間貯蔵施設を)了承したんです。
「30年たったらもとに戻すなんていいますけど、これも上から決めたこと。私たちは30年たったらどこかへ持って行ってくれなんて言いませんでした。中間施設では汚染土を置いて、数年後に盛り土をしました。下に貯まった土は除染したわけではなく、そのまんまです。ですから30年後に土地を返されたとしても、そのあとどうしたらいいのかわかりません。30年後、娘は70歳、孫は40歳。返されても困ります。
「所沢市長に今日はお会いしたかった。福島では放射能問題でどれだけ苦労させられたか。子どもたちは虐められましたね。大人たちは会社に行けなくなりました。そんなに簡単に物事を引き受けないでください。中間貯蔵施設を受け入れて、双葉町長や双葉町議はどれだけ賄賂を貰ったんだろうって話になっています。所沢にはどれだけのお金が動いたんだろうねって、そう言われますよ
「もし所沢が引き受けるようになったら、汚染土は全国に持っていかれます。どんなことをしてでも反対してください。私たちは持っていけとは言いませんから。絶対に頑張ってほしい」
鵜沼さんの話の後、会場からは次々と手があがった。福島のことは他人事でなく、自分の問題になったという声もあった。「所沢の住民は本当に頑張らなければ未来がなくなってしまう」そう泣きながら訴える人もいた。
原発に絡むすべてのことが、住民の声を無視して勝手に進められてきた。そして住民には分断という現実ばかりが遺された。今こそ、終止符を打たなければ。
福島の人たちと連帯して、何としても汚染土の拡散を止めたいと思う。