故郷は避難者の語りの中にある

堀川文夫さんと貴子さん

渡辺一枝さんによる「福島の声を聞こう」というイベントは41回目になる。7月2日、堀川文夫さん・貴子さんのお話を聞きに、双葉町の友人3人と一緒に、東京・神楽坂にあるセッションハウスを訪ねた。

福島県浪江町で大地震を体験した堀川さんは「原発が危ない、ここにはもう住めない」と思い、3月11日のうちに避難を開始した。浪江町でこんなに早く避難した人は珍しいという。原発が立地する双葉町とは違うところだ。
犬と猫が暮らせる避難先をインターネットで探した結果、静岡県の富士市に戸建て住宅をみつけた。賠償金などない堀川さんのために、大家さんは生活用品を準備し、無償で一年間貸してくれたという。けれど近所で噂がたち、貴子さんはウツになる。塾の先生として子どもたちの教育に力を注いできた文夫さんも、自分を見失ってしまう。貴子さんは、その頃の記憶がまったくないと言う。

ある日、避難した塾の教え子たちが卒業式をやるというので文夫さんは出かけた。生徒の一人が「避難してからいろんな人と出会えて、悪いことばかりじゃなかった」と言う。その言葉を聞いてハッとする。「引きこもって、何をやってたんだ俺は」。文夫さんはその時のことを想い出しながら泣いた。

「成績なんて二の次だ」。文夫さんは自らの教育信条の種を、富士市でも撒こうとする。一歩一歩人間関係を築き、塾を再開していく。それでも自分らは浪江の人間だ。文夫さんが小学生だった時に両親が建ててくれた我が家。戻れないとわかっていても、浪江にその家があることは心の支えだった。できることなら、朽ち果てるまで、残しておきたい。

浪江町は2020年、町民に家の解体を迫ってきた。期限内なら解体費用は国が出すという。新しい暮らしを始めた堀川さんは、800万円の解体費用を自前で用意することはできず、解体申請を出した。申請したもののやっぱりしのびなくて、「後回しにして欲しい」というと「皆そういうんですよ」と言われたという。

解体するのに800万もかかるのは、この家屋が放射性廃棄物だからだ。家だけでなく、浪江町では五つの伝統ある小中学校が解体された。「ここに来れば浪江町のことを想い出せる」という人は多かったのに、跡形もなくなった。老朽化が理由だと町は説明するが、だったら40年を超えた老朽原発を生かし続ける理由は何なのか。

堀川さんの家は一か月かかって解体された。つらすぎて、一度も現場に立ち会うことはできなかった。写真家の中筋純さんに看取ってもらい、『フィーネ』という映像に遺してもらうことになる。

解体作業の中に、庭木の伐採は含まれていなかった。楓の木が残され、それが守り神のように、遠くに暮らす自分たちをつないでくれた。家がなくなっても庭木があるから、自分はまだ浪江の人間なんだと思えたという。
その楓の木も、ついに伐採された時、「自分の中の浪江の根っこが、引っこ抜かれた気がした」。

悔しさはそれだけではない。3・11後、放射能は静岡県にも届き、大量の放射能がキノコから検出された。それを富士市の人は平気で食べている。巨大地震の震源地にある町なのに「30年も前からそう言われてるけど、来ないよ」と言う。「来た時は来た時だ」と。
「ちょっと待ってよ。だからこうやって話してるんだよ」と堀川さんは力を込める。

「故郷がなくなった」と言うと、東電は「それはダムで沈んだ町の人達のことを言うんだ」と返してきたらしい。寄り添うふりをしてきたが、ここ数年で態度が一変した。帰還政策が進む中、世論も「帰れるんだから帰ればいい」という空気になっている。気持ちが何度もズタズタにされる。そういう思いをしている避難者は、とても多い。

堀川さん夫婦は本当に強い。やさしい笑顔で、時に嗚咽する文夫さんを、貴子さんががっしり支えている。浪江町がどんなに凌辱されても、二人の生き方が引き継がれて行けば、希望につながっていくと思う。

塾の教え子19人が絵を描いた絵本

※堀川さんの家の解体を映像にした『フィーネ2-2-A-219』
https://www.youtube.com/watch?v=-AYfjooxbKw&t=8s

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