千葉県松戸市から、幼いこどもたちを連れて島根県に避難した原さん一家。彼らの避難生活は二年を過ぎた。
島根県には、同じような人たちが結構いるという。そして、島根原発が再稼働に向かっている・・・。
「双葉町のことを自分たちの問題として考えよう」
原さんが上映会を計画して早三か月。いよいよ二十七日です!(詳細は「上映会・イベント」をご覧ください)
出雲で上映会
下北沢・真龍寺で三度目の上映会
12月8日。
世田谷にある真龍寺で、「いのちつなごうプロジェクト」による上映会が行われた。
今回で3度目の上映会だが、今回も主催者の皆さんが芋煮をふるまってくれ、車座になっての討論会。映画に出てくる双葉町民、小池信一さんも参加した。
加須市に避難している小池さんは「自宅には、亡くなった両親の遺影があるが、そのままにしてある。こっちに持ってきたら、2度と双葉に帰れないって認めることになるから」
それでも、福島県知事が「数年後には全員帰還できる」というのを聞くと「そんなこと絶対できるわけがない。除染したって放射能は消えない」と力をこめた。
危ないとわかっているのにそれをごまかす県や国には反対だが、帰りたいという思いは増すばかりだ。だから「忘れないで、心の中に故郷を持ち続けるんだ」と小池さんはいう。
小さな子どもを連れた参加者の中に、3・11の前日に生まれたという女の子を連れたお母さんがいた。これだけの成長をとげる2歳9か月という年月を、ずっと避難し続けている人たちがいることに改めて驚かされる。
福島は捨てられてしまったんだと小池さんはいう。福島の野菜を食べるべきではないという考えがあるが、福島だから全部だめなのかといったら、そうではないんだろう。「実害」と「風評被害」の両方が入り混じっている。だったら、安全をきちんと調査したうえで生産活動している人たちを支えるべきだと頑張る人もいる。
真龍寺の上映会には、福島を捨てられない人たちがたくさんいることに目を向け、できることを自分たちで考えて行動する人が集まってくる。
「誰かがやらなくちゃいけないから」と言って、復旧作業や除染作業をする人たちがいる。そうした一方で、本当の責任者は責任を問われることもなく黙っている。
誰がそれをやるべきなのか、追及することができなくなるのは怖いことだと思う。
韓国・光州人権映画祭
11月20日から24日まで、
韓国・光州で人権映画祭が開催された。
光州は1980年、民主化闘争が爆発した都市。映画祭の会場である「光州映像複合文化館」の目の前はまさに光州蜂起の最終激戦区だった場所だったそうだ。
韓国は「脱核運動」が盛んだという。
今回の映画祭では、「核」をテーマにした映画を上映するということで
日本からは『原発の町を追われて』が選ばれた。
3・11から二年八か月たった今、韓国では福島原発への関心が以前に増してさらに高まっているのだ。
120人ほどでいっぱいになる小さなホールは、若い観客が多かったようで、
映画の後には質問が殺到したようだ。
「3・11の後、何回か日本を訪ねたが福島のことは忘れ去られている気がした。実際はどうなのか」
「故郷を追われた人たちに、日本人はどのような支援をしているのか」
「食べ物の放射能汚染について、どれくらいの認識をもっているのか」
「福島以外のほかの原発立地の町で、脱原発運動は起こらないのか」
「日本では、本当の加害者に対して、皆で団結して立ち向かうということはないのか」・・・・・
特に「県外に逃げた人は非国民」というシーンをめぐっては、議論が尽きなかったそうだ。
「心が痛む。でも韓国でも同じことがきっと起こるだろう」
「核の問題だけではなく、人々の分断の問題だ。これは韓国の未来でもある」
「国民性の問題ではなく、普遍的な姿だ。だからこそどう乗り越えるかを考えないと」・・・
ハングルの字幕をつけてくれたのは「光州環境運動連合」の小原つなきさんだ。
彼女はいう。
「韓国のドキュメンタリー映画は、現実の矛盾の中に入り込み『それでいいのか』と観る人に問うものが多い。3・11後の日本の映画は『かわいそうだけどがんばってる』と、安易な希望を振りまくものが多い」
・・・そんな中でこの映画を上映してもらえたことをうれしく思う。 
ジャーナリスト
今年のやよりジャーナリスト賞は、該当者なしだったのだが、
『原発の町を追われて』が特別枠で「期待賞」を受賞した。
松井やよりさんとは、二十年以上前に
中米ニカラグアのスタディーツアーでご一緒した。
その後『女たちのアジア』(岩波新書)を読んだ。
雲の上のジャーナリストである。
ジャーナリストってなんだろう。
辞書的には「日記を記す人」とある。
日記は小さい頃から書いてきたし、
他人の日記を読むのも好きだった。
でも、自分がジャーナリストになりたいと思ったことはないし、
社会人になって働くようになってからも
職場以外のところで「何者かになりたい」と思い続けてはきたものの、
そこに「ジャーナリスト」はなかった。
日の当たらないところで生きてる人はいる。
双葉町を追うきっかけは
「俺たちは忘れられていく」というおっちゃんの一言だった。
この人たちを日の当たるところに出したいという思いはあった。
でも、所詮はマイノリティーだ。
マイノリティーがマジョリティーになることなんて
決してないと私は思う。
でも、そういう人たちは大切なものを教えてくれる。
決して多数派にはならなくても
一緒にいきていきたいと思わせるものがある。
他の人たちが、なんだかよくわからなくても
排撃せずにそっと見守っている。
そういう社会であったほしいと思う。
自分と異なる他者に思いをはせるのは、
ただそれだけで、豊かになれる気がする。
そんな自分が「ジャーナリスト」にかかわる賞をいただいてしまって、
幸せなような、・・・ちょっと怖いような気持ちがしている。
リポート・加須市のお寺で上映会
11月9日 旧騎西高校がある埼玉県加須市のお寺・保寧寺で、
『原発の町を追われて』の上映会が開催されました。

加須市民、加須市内外で避難生活している双葉町民、合併によって2010年になくなった旧騎西町の町長、避難者の支援をしてきた人たち・・・・130名の人たちで本堂はあふれました。


玄関前の和室には、双葉町の書家・渡部翠峰さんが旧騎西高校の避難所で一字一字心を込めて
書かれた写経が掛けられ、本堂での上映会前には小崎和尚の先導により「般若心経」「座禅和讃」を唱え、震災・原発事故で亡くなった方々に思いを寄せることから始まりました。
上映後は、双葉町の人が加須市で作ったホウレンソウのじゅうねん(エゴマ)和えやおはぎを味わいながらの交流会。
双葉町の映画にも出てくる二人の双葉町民と制作者の話。

その後は参加者との質疑が続きました。
「隣人として、どういう支援が必要ですか」という、加須の人からの質問に、
双葉町民からは「一方的にモノをもらうということではない。支援する方と受ける方、両方が心地いい関係であれば」という意見も。
騎西高校は閉鎖になりますが、せっかく馴染んだ加須市で、引き続き暮らしたいという人が多いです。
会の終了後、双葉町の人からは「この町でコミュニティーをつくる」といい、加須市の人からは「私たちも何かできるよね」という声もあったようです。
今回の上映会の成功を支えてくれたのは、保寧寺の御住職をはじめ埼玉県内の多くの方々の力によるものでした。しかし、そもそも声をあげたのは、四月に『原発の町を追われて』の連続上映会を都内で開催してくれた世田谷のグループでした。「東京だけでなく、避難所がある加須市で上映会をやろうよ!」といって企画してくれたものです。世田谷から加須市まで何度も足を運び、避難所、お寺、加須市内の人たちにはたらきかけてくれました。これまでにないつながりを作ってくださった皆さん。本当にありがとうございました。






