「双葉町だけじゃない」


『原発の町を追われて』のサブタイトルは『避難民・双葉町の記録』ですが
これまでに「双葉町だけじゃない」という声が多数寄せられてきました。
双葉町は町民全員が強制的に避難させられ、
福島県外に役場を移した町としてクローズアップされてきたわけですが、
そのかげには多くの自主避難者がいます。
そして「自主避難」は、福島県民だけではありません。
3・11直後、東京から九州に、お子さんを連れて避難している
男性からのメールを紹介します。

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『原発の町を追われて』拝見いたしました。
いくつもの場面で涙がでました。
私は自主的に避難したので、双葉町の方々の悲しみや怒りの
ほんのわずかなところしか理解できていないかと思います。
帰る故郷があり、思い出や身の回りの荷物を整理して
九州へ持ち運ぶ時間も余裕もありました。
それでも、映画の中で話しをされていた方々の言葉が、自分の
ことのように感じ、心がおおきく揺さぶられました。

鵜沼さんの「逃げたやつは非国民」「県外に逃げるのはバカ」は、
私自身も常に感じている言葉でした。関東からの避難でもそう感じ
てしまうのだから、福島県からの避難者はそれはもうどのくらい
強い疎外感を感じてしまうのか。私などには想像もできないほど
のものであるのでしょう。

困難を強いられていない人々の多くは他人ごととなってしまうであろうし、
原発事故そのものが自分たちとは関係のない遠い国での話しになって
しまっているように思えます。

小池さんの「みんなの問題として考えて欲しい」「言い続けないとダメ」
という言葉がいつまでも頭に残ります。私自身、きちんとその問題を
考え、行動しているかというと・・・。
何もせず黙っている自分が恥ずかしいです。

井戸川前町長の話しは単純明確でとてもわかりやすく、言葉のひとつひとつ
が強く印象に残りました。

校舎の片隅で、尺八にあわせて歌う年配女性の言葉は語り口は柔らか
ですが、突き刺さるように響き、もっとたくさん聞きたくなりました。
自分で作る食事が恋しいのはまったく同感です。
当たり前のことだから感謝することがなかったけれど、というところも
失うまでは当たり前のことのありがたさに私も気がつかずに暮らしていました。
大事なものを失った形が、その方と私とでも比べようもないのは承知していますが、
当たり前のことができないまま生きる辛さは少しは理解できたつもりでいます。

一蓮托生で被爆するのが美しいとでも言わんばかりの有り様が
怖ろしく思え、被爆を避け安全な場所へ一人でも多くが逃れることを
お互いに支え合うという思考にどうしてなれないのか。
被爆が怖いという意志表示がどうして悪なのか。
個人は尊重されず、横並びが何よりも大切だということを今回の原発
事故で思い知らされました。
「逃げた」とか「弱虫」という思いを跳ね返したり、また戻ってきて体に
当たったりを繰り返しています。陰鬱な気分で思いが怒りに転じてしまったりと
なかなか思うように強く生きられずにいます。
とはいえ、根が楽観的なので、頑張りすぎないように頑張ってます。

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