アフタートークについて

このごろは自主上映会だけでなく劇場上映でも、制作者のトークと会場からの質疑応答・・・というのが結構行なわれている。『原発の町を追われて』もほとんど毎回、制作者の私がしゃべりに行く。
映画は作品がすべてで、制作者が上映後に何かしゃべるのは邪道・・・という意見もあるだろう。しかし現在進行形の社会問題を扱うドキュメンタリーの場合、作品をめぐって(正確には作品に描かれた現実をめぐって)討論することは、とても意味のあることだと思う。

6月1日より、渋谷のイメージフォーラムで『いのちを楽しむ~容子とがんの二年間』が公開されている。
四十歳で乳がんを発症し、昨年五十八歳で亡くなった渡辺容子さんを描いたドキュメンタリー。
『患者よがんと闘うな』などの著者で話題になっている近藤誠さんを主治医とし、容子さんは自ら癌について学び、自分で治療法を選択していく。ガン治療からみる日本の医療のあり方はもちろんだが、看取りや介護などさまざまな問題がみえてくる。

この映画が公開されて二日目(6月2日)に私は劇場に足を運んだ。
映画の上映後、深い余韻が残り、すぐに立ち上がる気になれなかった。そういう人は私以外にも多かったようで、制作者(ビデオプレスの松原明さんと佐々木有美さん)が「近くのカフェでアフタートークをやろう」と提起した。従来なら質疑応答(監督と観客との一対一の応接)・・・となるのだろうが、次に別の映画の上映がひかえているため、劇場に残ることはできないからだ。これが、とてもよかった。
観に来ていたお客さんのうち十人ほど(私も含めて)が、カフェトークに参加した。ランチを食べながら自己紹介をしたのだが、ガン患者が多いのには驚いた。「ガン友」と出会い、情報交換したくて来たという人もいた。容子さんと同じように、癌だといわれても放置している人もいれば、違う選択をした人もいる。
私は「ガンも看取りもいつか来ること」とは思っているが、現時点でそれをかかえているわけではない。でも、リアルタイムでガンと向き合う人の、自らの体験をベースにした感想は、リアリティーにあふれていた。
皆、語りたいのだ。どんなに辛い状況にあっても、語ることで前向きになれる・・・というより、
語っている姿そのものが前向きだ。
そして、さっきスクリーンで観た容子さんに負けず劣らず、自分らしく生きている人たちと出会うことができた。

ひるがえって、
『原発の町~』の上映会にも、映画に出てくる双葉町の人がスピーチしにくれることがある。でも、映画には登場しないたくさんの原発避難民がいて、そういう人たちは「私は人前でしゃべるなんてとてもとても・・」となりがちだ。
ところが、四月、東京・下北沢のお寺での上映会に、双葉町の人が数名参加してくれた。観客の前に出てマイクを持ってしゃべるというのでなく、畳の上でお茶菓子やおにぎりを食べながら、思い思いのことを語り合えるよう、主催者の方たちがセッティングしてくれたのだ。気がついたら夜になっていて、都会の人と双葉町の人はすっかり打ち溶け合っていた。
ちっとも進まない賠償問題、世間から忘れ去られていくことへの不安・・・、避難生活は月日がたつにつれて孤立感が深まっている。
先月も、茨城県つくば市で上映会を開催した。つくば市にも、双葉町の人たちはたくさん避難している。最初のころは、同郷の人間が集まっているので心強かったが、避難先で「自分の思い」を口にする機会は皆無に等しいそうだ。
「双葉の人間はおとなしいんだよ」
一部の雄弁な人が語り、ほかの人は語らぬことを美徳とする人たち。それでもそんな人たちが上映会に足を運ぶことによって、自分の思いを表現するのは、とてもすがすがしい。マスコミに姿を晒すことも、国会前でアピールすることもない人たちにとっての出会いの場になればいいなと思う。

原発避難民もがん患者も、差別を恐れて「言えない」人はまだまだたくさんいるのだから。

カテゴリー: 最新のお知らせ パーマリンク