メディアは「分断解消」に何ができたのか?〜福島映像祭で考えたこと

 9月下旬、東京・東中野で「福島映像祭」が開催された。今年で六回目のイベント。風化に抗う素晴らしいドキュメンタリー映画の上映やトークが満載の一週間。その中で「福島中央テレビの現場から」と題する企画があった。

 ゲストは福島中央テレビの佐藤崇さん。10人ほどの記者しかいない小さな放送局だが、地元ならではの情報発信を目指してきた。聞き手はNHK放送文化研究所の七沢潔さん。会場のポレポレ坐は満員。七年半たっても福島の問題が現在進行形であることを突きつけられる。

 七沢さんは今の福島の問題は三つあると切り出す。「廃炉の困難」「帰還政策の失敗」そして「人々の分断」だ。
 そして「福島県と福島県以外」「避難指示区域とそれ以外」「区域外避難者と地元に残る人」という具合に幾重もの分断があることを指摘。避難者どおしが連帯するのを阻むのは、賠償の有無とそれに付随する感情だという。メディアは、その分断を解消するために何をしてきただろうか。

 福島中央テレビが制作した『見えない壁』(2018年2月11日放送)が上映された。福島県いわき市に、道路一本隔てて建っている二つの公営住宅。一方は津波による地元避難者、もう一方は浪江町からの原発避難者が暮らしている。どちらも被害者なのに、原発避難者には「一生かけても使いきれないほどの」賠償金が支払われ、医療費も無料。当然、津波被害のいわき市民との間に感情的な軋轢が生じる。そんな両者が少しずつ歩み寄っていく過程が、この『見えない壁』に描かれていた。

 「税金も医療費も払わないで優雅に暮らしている」と言われてしまう原発避難の人達にも言い分はある。「賠償金なんていらないから、元の場所に住めるようにしてほしい」。

 変化を作り出したのは、「お互いがずっとこのままでいいのか」という思いもさることながら、番組をつくった20代の女性ディレクターの働きかけによるところがが大きい。しかし上司である佐藤さんは、住民どおしがきつく言い合う場面などもあることから「これを顔出しで放送して大丈夫なのか」と思ったと明かす。

 私が思ったことはこうだ。賠償金をもらえない側の人たちは、もらえてる人たちを心底羨ましいと思っているだろうか。もし逆の立場になったら、同じように苦しむのではないか。それほどに、入れ替え可能な人達なのだ。本当に憎むべき相手は、道路の反対側に住んでいる人たちではない。七年たった今、避難者たちはそのことを理解しているのではないか。「いわき市に住むなら住所を移して税金払え」と津波避難者がいうと、原発避難者は「故郷と、今住んでいるところ、二重に納税することはできない。そのかわり、避難者である自分たちを受け入れてくれているいわき市には、国から交付税が払われている」と返答する。お互いの偏見を解消するために、一歩前に踏み出した住民たち。その一方で、なぜこのこと(行政の対応)をマスコミは伝えないのだろうと思った。なぜなら「こういうことって、私たちが言ったところで世間は信用してくれないのよ」という言葉を、私自身が原発避難者からたびたび聞かされてきたからだ。

 当事者でなければ語れないことと、そうでないことがある。傷ついた避難者自身にばかり語らせるのではなく、客観的事実をマスコミはもっと報じることが必要なのではないか。そうすることによって、語りやすくなる人はもっと増えるだろう。そんなことを考えさせられたイベントだった。

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