いのちをあずかるものどおし

 上映会では鵜沼久江さんと一緒に話をする機会が増えた。遠い場所での上映会にも、久江さんは喜んでつきあってくれる。「どうしたら伝わるのかな」と、いつも考えているという。二度と自分たちのようになってほしくないから。

 11月11日。名古屋での映画祭のあと、三重県まで足をのばした。「大切な友達がいるから会いたいの」と久江さん。行き先は「竹内牧場」。夫婦と二人の息子さん家族四人で、400頭の松阪牛を育てている。

 JR多気駅に竹内友子さんが迎えに来てくれた。第三部が出来たとき、久江さんが送ったDVDを観てくれているので、友子さんは初対面の私にも気さくだ。友子さんと久江さんはよく笑う。その笑顔が似ていると思った。

 二人が出会ったのは2011年9月、東京・農林水産省の会議室だった。全国の畜産家が集まる中、久江さんが避難の状況をはじめて語った。その中にいたのが友子さんだった。

 「鵜沼さんの話を聞いて、三重に帰って・・・牛たちを見ながら考えたの。この子たちを置き去りにしなければならない、そんなことがあるのかと」。
警戒区域の牛を区域外に出すことはできない。埼玉県に避難した久江さんは、やむなく夫婦で田んぼと納屋を借り、米と野菜作りをはじめた。牛のことが気がかりで一時帰宅するものの、やれることには限界があった。全頭殺処分が決まったのは何故なのか、どういう経緯があったのか。納得いかない中でも多くの牛飼いは応じるしかなかった。久江さんは「どうしても牛を殺すというなら、私を殺してからにして」と、県畜産連に抗議した。

 友子さんに案内され、竹内牧場に連れて行ってもらう。かつては乳牛もいたが、今は肉牛だけだという。久江さんは牛たちの顔を撫でている。殺処分と言う形で命を絶たれるのは残酷だというが、そもそも人間は牛を食べるために殺してるじゃないか。そういう人もいる。

 友子さんの夫がこの牧場の三代目だ。彼は私に「肉牛をやっててね、牛が屠殺されることは何も悲しくない。悲しいと思ったことはないよ」と言った。久江さんからもそんな話を聞いたことがある。肉牛と一緒にいられるのはおよそ30か月。だからその年月なかよく暮らそうね。そう言い聞かせるのだそうだ。

 命あるもの、必ず終わりが来る。しかし、受け入れられる死とそうでない死がある。福島から遠く離れていても、そのことを痛いほどわかっている人がいる。命を預かるものどおし、つながっている。

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