渡部翠峰さんの七年

 双葉町の書家・渡部翠峰さんは、7年前に騎西高校に避難した。最初は美術室で90歳の実母と暮らし、別の教室には妻と義母もいた。

 避難した年の8月に、騎西高校の視聴覚室で書道教室を開くことになったと聞き、私は取材目的で生徒になった。
 多くの記者が翠峰先生を取材していた。私が話を伺いに行ったとき、先生は「メディアの人間でもないあなたが、なんで私に近づくんですか。好奇心か?同情か?」と聞いてきた。「この学校には何百人もの双葉町民がいる。誰に聞いてもいいような質問をしないでください」とも言われた。
 故郷が恋しくて前に進めないという人は多いが、どんな場所にいても自分の生き方を貫いてみせるという翠峰先生は、芸術家そのものだった。畳一枚のスペースがあれば十分といい、3・11後に出会った人を書道の虜にし、この七年で三人目の師範を誕生させようとしている。

師範の試験を控えた弟子を前に

 不肖の弟子の私は、途中で教室を辞めてしまったが、その後も翠峰先生は私の映画制作を応援してくださっていた。第三部が出来たとき、先生は「あなたはずっと双葉町を追い続けるでしょうから」。そして、原発事故から七年を前に、題字の表装作品を贈って下さった。

 「たとえテントで暮らすことになったとしても字は書ける」と言っていた先生は今、97歳の実母、98歳の義母、妻のために、騎西高校の近くに終の棲家を作り暮らしている。「老々介護、大変です」。
 こんな人に育まれながら、私は映画を作っている。

避難してから書き続けている仏画の入った作品

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