戦後70年によせて

あの戦争が何だったのか。
特攻、沖縄、空襲、原爆、南京虐殺、七三一部隊、慰安婦、飢え、銃後の母・・・

墓場に持っていく前に語ろうという人が出てきている。
敗戦から七十年。あの戦争を風化させてはならない。
この夏は、いつにもまして、戦争の映画が上映されている。

封印した人たちも沢山いた。加害者としての自覚があったから。
そして、差別されてきたから。
広島で被爆した男性は、結婚を決めた相手の親から
「黒い赤ん坊が生まれる。そんなところに嫁にはやれない」と言われたという。

被ばくの怖さは十分にわかっている。それなのに、・・だからこそ語れなくなってしまった。
そして事故からまだ四年しかたっていないのに、風化させられようとしていることがある。

かつて『父と暮らせば』で原爆を落とされた娘を演じた斉藤とも子さんは
「3・11が来て、これでようやく日本中の人たちが広島・長崎の被爆者に心を寄せてくれると思った。でも実際は違った」と言う。福島から他所へ避難した子どもが「放射能がうつる」といじめられる。「”放射能はうつらないよ”と教えてあげたい」と、戦争による被爆者が声を振り絞るのを、斉藤さんはみてきた。

被害者が声をあげることは難しい。
自分に<落ち度>があったと思ってしまうからだろうか。
不安や疑念を言うと、共同体から疎んじられる。だから黙っている。
そうやって原発は建てられ、共存してきたんだと思う。

ヒロシマ・ナガサキ・第五福竜丸・原発ジプシー・海外への放射能輸出・東海村JCO臨界事故・・・
隠ぺいされてきた放射能被害。
アウシュビッツと並ぶ残虐で非人道的な原爆投下だったのに、
毒ガスと違い、放射能は目に見えないし臭いもない。すぐに死ぬわけではなかったために、
世界の人たちはこのことを意外に知らないそうだ。

被爆国日本だからこそ、言えることがあるし、言わなくてはいけないことがある。
私がこの映画を制作するにあたって、一番言いたかったのはそのことだったのだと、
今あらためて思う。20150807genbaku

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