スクールマリコ

021 島根県で三度目の上映会をした。松江市のシンガーソングライター、浜田真理子さんが2013年から始めた『スクールマリコ』。福島第一原発原発の事故をきっかけに、さまざまな立場の人とつながって考えていこうと精力的に活動されているのを、私は東京新聞の彼女のコラムで知った。恥ずかしながら浜田さんの歌を、聴いたことはなかった。

 島根県には福島県と共通の、県名が名前になった原発がある。稼働年数も同じくらい。しかも島根原発は県庁所在地の松江市にある。松江城を中心とした城下町としての歴史、宍道湖に沈む夕日の美しさが、一瞬でだめになってしまうかもしれない。
 これまでに島根では二度、上映会を開いてくれる人たちがいた。一度目は2013年末。関東から出雲市に二人の幼子をつれて自主避難したHさんがこの映画のことをホームページで知り、この地で頑張っていくためにありったけの力をふりしぼってくれた。
 当日は大雪。客足は鈍かった。それでも一家の奮闘に感動した松江市のYさんが二度目の上映会を翌年六月に開いてくれた。そこに来てくれたのが浜田さんだった。

013 一年ぶりの松江。スクールマリコは楽しかった。旧日銀の建物を市民の交流のスペースにしたという「カラコロ工房」の地下金庫室で、上映とトークをした。3・11の事故後、松江にうつった双葉町の方が親子で参加してくださり、映画に出てくる人をみて「知ってる人ばかりで懐かしい」と言った。名称未設定mariko1
 福島原発のおひざ元にいる人たちが埼玉県に避難したドキュメンタリーをみて「埼玉も福島もそう違いはないんじゃない?と思っちゃうけど」と浜田さん。・・・たしかに。島根からみたらそうに違いない。そして島根は陸の孤島。島根からはどこに行くにも遠いのだという。そんな土地で暮らして音楽活動をしてきた浜田さんは私と一つ違い。バブル世代だねと笑いながら対談はあっという間に終わり、同世代とおぼしきスタッフの人たちとスナック『birthday』で花火みたいに打ち上げをした。

名称未設定_2 翌日はYさんの案内で、宍道湖から分流する堀川を船で遊覧した。「松江の人たちは観光しかない。よその人の金ばっかあてにしちょる」とYさん。そういうものか~と思いながらも、かように人をもてなす力というのは埼玉にはないものだと思う。京都みたいに人がわんさか訪れるのではない山陰地方のこの町が、またいっそう好きになる。

2015/ 7/ 4  0:36

2015/ 7/ 4 0:36

 松江から帰って、浜田さんのCDを聴く。もう毎晩聴いている。そして彼女がくれた初エッセイ『胸の小箱』を読む。
 浜田さんはジャズに憧れ、ピアノを弾きながらシンガーソングライターを目指す。音楽をやるために松江を離れて東京に行くのだと夢みる。でも家族のこととか色々あって、東京には行けない。だったら松江で愛されるミュージシャンになって、東京から松江に聴きに来てもらえるようになろう。男女雇用機会均等法の頃。女が肩で風切る時代。大学がレジャーランドと言われた頃だ。テロもブラック企業も戦争もなかった。あることと言えば天皇崩御で自粛ムードになって昭和が終わり、それでも悩みはたくさんあった。夢をみては挫折する。彼女の歌を聴きながら、私の20代、30代のころとぴったり重なる。
 地方の「陸の孤島」に生きる浜田さんと、もうちょっと都会の(その実、ちっとも都会的ではない)私という違いはあっても自分を形成してくれたたくさんの人の顔が浮かび、<50にしてこの軽さ>と思ったりするあたりそっくりだ。けれど今だから、周りを見回す余裕もちょっぴりある。

 彼女が東京新聞に書いたり「スクールマリコ」を開催したりすることは、ある意味勇気のいることなんだろう。そんな浜田さんだからこそ、その自然体の発言や行動は心にしみた。嫌いだったこともある故郷が大切に思える、そんな気持ちを今私もかみしめている。「基地や原発がいやなら、他の場所に引っ越せばいい」という声を聞くたび、そんなもんじゃないだろうと涙が出る。ここでなければできないことがある。そういう人生をたまには省みることが、誰しもあるんじゃないかと信じたい。

 最初に島根に私を呼んでくれたHさんは、三人目の子どもを出産し、出雲市の古民家でたくましく生きている。今回、Hさん一家を訪ねることができたのも最大の収穫だった。近所の人の力を借りて五右衛門風呂を作り、10歳の長女が、大人でも難しい野菜作りの名人になっている。迷いながらもこの地に根付いていくHさんにも、心からのエールを贈ります。

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