八月七日。大宮図書館(さいたま市)で開催された『原爆と人間展』で、双葉町民・鵜沼友恵さんが埼玉県に避難してからの三年五か月を振り返った。
「双葉町は、実は皆さんと大した違いはないんです」。
さいたまスーパーアリーナで、段ボールのトレーを持って炊き出しの列にならんだ時の絶望感。「私、何か悪いことしちゃった?」。
食べきれないほど配られた食料を捨てるわけにもいかず困ったこと。単位が欲しくてボランティアに来ているだけの学生。・・・そんなこと言ったら、きっと叩かれちゃうんだろうなと思ったと鵜沼さん。
その後旧騎西高校に行き、借り上げ住宅に移りながらも、避難者の自分にできることをやろうと避難所にカフェを作った。それも今は閉鎖となり、避難者の心のケアはますます必要になっていくという。「奥尻、阪神淡路、中越がそうだったように、自殺、アル中、DV、失業者はこれからもっと増えていく」。
「賠償金もらって、家賃、光熱費はタダでいいね」・・避難先でそんな声も沢山きいた。しかし「これは『原発避難民』の福島に限らない。岩手県も同じ。日本だけでなく、世界中で同じような差別や偏見があることを知った」と語る。
大宮西高の新聞部も参加。「風評被害で福島の野菜が売れないことについてどう思いますか?」という質問に「風評って何なのか考えてほしい。そもそも40年前、原発があるだけで双葉町産は食べちゃダメだと、福島では言われていたんです」。
「3・11までは、東電・国のやっていることがこんなにも酷いとは思っていなかった。でも今は『おかしい』と言った方がいいと思えるようになった」
「二分する意見はダメだと言われているけれど、対立するのでなく議論しよう」。
双葉町の自分たちから学んでほしい。これが、鵜沼さんの一番の願いだ。