撮影秘話

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 「被爆者の声をうけつぐ映画祭」(今年で八回目。第一回は『ゴジラ』を上映したそうです)が四日間にわたって、明治大学リバティータワーにて開催された。
 初日の7月3日には『原発の町を追われて』の上映と井戸川克隆前町長との対談があり、100人以上の方々に来ていただくことができた。来場してくださった皆さん。平日だというのに夜遅くまで、ありがとうございました。

 コーディネーターの寺島成宏さんが、前提的に押さえておくべきこととして、チェルノブイリで住民が強制的に避難した区域が福島県のどの範囲にあたるのかをスライドで説明してくださった。町民の健康を第一に考え福島県外に避難所を設けた双葉町だったが、その結果町民が対立し、町長も不信任に追い込まれていく。映画にはそのあたりも出てくるので、井戸川さんにとっても双葉の人たちにとっても、観るのがつらいと思う。

 映画の感想を聞かれた井戸川さんは「福島県内の仮設住宅で私が批難されているシーンいっていってが出てくるが、町民には『不満があったら全部オレに言えヨ』と言ってきた。全部受け止める覚悟だった。町民の分断を防ぎたかったから」と語った。そして「撮影の途中で堀切さんが町民に文句を言って、叩き出されちゃった。実はあの後がもっとすごかったんですよ」と裏話を暴露。
 
 上映後に井戸川さんと一緒に話をするのはこれで四回目だ。毎回必ず「チクリ」と苦言を呈されてしまう。
 「堀切さんは記録に徹して、現実をちゃんと撮るのが仕事だったのに」と。
 でも私はジャーナリストやカメラマンを職業にしているわけではない。
でもその一切の責任を、自分が背負うつもりでいた。

 『続・原発の町を追われて』を観てくださった方はご承知だと思うが、本当に胸が痛くなるシーンがいくつもある。その現場にいた私は、カメラを回すことより大切なことがあるように思えた。
 現実をとことん記録するのがカメラだが、カメラのブレや中断もまた「現実」だ。
 どっちがよかったのか、今も判断できない。

 上映会終了後、何人かの人が声をかけてくれた。若い人が多かった。映像作品を作っているという人もいて、
中には「小川伸介は、三里塚を撮るときに闘争に参加してしまって、肝心なことを撮れなかった監督なんだよ」と言ってくれる人もいた。

 そして映画祭の最終日。『フクシマ2011~被ばくに晒された人々の記録』という作品を観た。
 ここに出てくる南相馬市のお母さんの話が印象的だった。「除染よりも、放射能に色をつけてほしい」。
 どんなにごまかそうとしても、現実をみようとする人はいるのである。

 

 
 
 

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